森のひとりごと

言の葉選び

2020.01.05

 OECDによる国際学習到達度調査で日本の15歳の読解力が落ちていることが分かった。若い世代は小説を読まないうえに、新聞や雑誌のように内容を精査しながら長文を読むことさえ少なくなってきているそうだから、読解力が落ちるのも当然であろう。

 そのうえ、インターネット上のチャットやLINEで短文をポンポンと送り合うことに慣れてしまって、助詞や助動詞、接続詞の使い方さえもおかしくなっているという指摘もある。最近僕もそんなことを思わされる場面にしばしば遭遇する。さらには、まったく意味の分からない省略語には面食らってしまう。言葉は時代にあわせて変化するものだとは言え、極端すぎてついていけない。

 僕は日本語が良くできた言語だと思っている。例えば、「僕は森です」と「僕が森です」とでは意味が違う。間に入っているひらがな1字が変わるだけで意味がさらに変化する。「僕も森です」、「僕の森です」、「僕と森です」という具合だ。さらに言えば、似たような文章でも単語の順番が変わると微妙にニュアンスが変化する。「さっきから雨が降っていた」と「雨がさっきから降っていた」とは微妙に違う。「雨はさっきから降っていた」となると「さっきから」が強調される。僕はこういう微妙なニュアンスの違いや語感を大切にしたいと思っている。そのためには読書が欠かせない。特に小説や詩歌を読むことが必要だ。これからも、若者を中心にして日本語が変わっていくとしても、僕は自分の語感にこだわって生きていきたいと思う。

 話は変わるが、新幹線のホームで流れるアナウンスに違和感を禁じ得ない。「車内ではおタバコをお吸いになられません」というものだ。助動詞の「る・らる」の使い方の問題だ。この場合は可能を表す「る・らる」なのだから、僕の語感では「車内ではおタバコをお吸いになれません」となる。ただし「先生は車内ではタバコをお吸いになられません」は正しい。尊敬を表す「る・らる」だからである。ことほど左様に日本語は複雑で面白い言語なのである。だからこそ言葉を選びながら使っていきたいと思う。

 言葉選びと言えば、キャッチコピーやキーワードを考えるのも楽しい作業だ。僕が今まで使ってきたキーワードの幾つかを紹介してみたい。初めての県議選では「あなたの体温を県政に」という言葉を使った。初めての市長選の際は「とやま、新時代!」というものだった。前回の選挙では「暖かい手と手をつなぐ」というワードを使い、僕らしくないとも言われた。どれも呻吟しながら自分で考えてきた。楽しい思い出だ。

 一方、新年の執務始めの挨拶の際にも毎年キーワードを披露してきた。就任して最初の正月だった平成15年は「シンク・ビッグ」。平成17年は「他とは違っているか、新しい刺激に満ちているか、時の試練に耐えうるか」というものだったが、ある所で見つけた言葉を使わせてもらったもの。以後も「出力全開」、「原点回帰」、「変化の実現」、「ネクスト・ステージ」、「再点検の年」、「質を高める」、「イマジネーション」といった具合に使ってきた。どれも年初にあたっての自分自身の気持ちや意気込みを、言葉を選びながら表そうとしたものである。ところが長く続けてきたこともあって、ここ数年のキーワードは意味の分かりにくいものだったと今になって反省している。例えば、「思考は原点 姿勢は頂点」とか「共進化」とか「音叉の共鳴と共鳴の連鎖」とかといった具合だ。最後のものに至ってはかなりの読解力の持ち主でも説明がないと分からないと思う。反省しきり。

 今、本稿を書きながら令和2年のキーワードを思案している次第。はたしてどういう言葉になりますやら。

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