森のひとりごと

注射信者のひとりごと

2020.12.05

 僕らの世代はお医者さんに診てもらう際には最後に注射をしてもらわないと物足りなさを感じる人が多いのではなかろうか。少なくとも僕はそうだ。だから、診察が薬の処方だけで終わろうとすると、思わず「先生、注射は無いんですか?」と口にしてしまう。医療の現場ではなるべく注射をしないという傾向にあることは分かっているのだけれども…。注射信者としては、注射をした方が回復が早いという思い込みを棄てることができず、ほとんど信仰のようになっているのだ。子どもの頃の注射で劇的に回復したという記憶がそうさせるのだろう。そうは申せ、そろそろ注射信仰を止めないと手に負えない高齢患者になってしまいそう。主治医の先生の処方通りに病気と向き合うことが一番。「あれ、注射は無いのか」などと思っても決して口にしてはいけないと肝に銘じている。

 そうは言っても、インフルエンザの予防接種となると話は別である。毎年ワクチン注射を受けている。感染して公務に穴をあけるということを避けたいとの思いからである。もっとも予防接種を受けたとしても万能と言う訳じゃなく、何年間に一度は感染してしまい、一週間程度の自宅隔離を余儀なくされる。この稿を書くにあたり、一番新しいインフルエンザの感染はいつだったのかと気になり、自分のブログを遡ってみた。意外にも前のことで驚いたが、2014年の2月に一週間の隔離休暇をもらっていた。ブログの文章を読み直してみると、同居している娘との食事も避けるという徹底した家庭内隔離をしていたうえに、熱が下がり体調が回復してからも更に2日間の自宅待機をしていた。誰かに感染させる可能性があるのだから当然である。おそらく電話とメールで仕事をしていたのだろうなあ。いろんな人に迷惑を掛けたに違いないと思うと今になっても反省させられる。それでもその後の6年半は一度も感染していないということだ。予防接種のお陰であろう。僕自身は今年の接種を10月の初めにしたが、65歳以上の方には無料接種券が配付されているので多くの方に接種してほしいと願っている。もちろん子どもから大人まで多くの方にも受けてほしい。新型コロナとインフルエンザの同時流行だけは避けたいと思うからである。

 ところで注射信者としては昔と最近の注射事情を比較して不思議に思うことが何点かある。思いつくままに列挙してみたい。

 まず、小学生の頃の集団接種において一本の注射で何人もの生徒が注射されていた記憶があるが、よくぞ無事でいたものだと思うこと。そのうえ昔の注射はとても痛かった記憶があるが今はそうでもないということ。昔は注射の後でよく揉むように言われたが、今は逆に揉まないように言われること。昔は注射をした日には入浴しないように注意されたが今は違うこと。などなどであるが、すべては医療の進歩の賜物ということだろう。その延長線上にあるのが冒頭に書いた注射をしない診療ということになるのだろうなあ。やっぱり注射信仰を棄てる時ということか。

 先に紹介したブログの中に子どもの頃の記憶を書いている部分があり読んでみて懐かしい思いにさせられたので披露してみたい。

 「目を閉じていると時計の秒針が刻む音が耳につく。急に子どもの頃に風邪で学校を休んで家で寝ていた時のことを思いだす。誰もいない家の中で一人で布団に寝ながら時計の音だけが耳に響いてきて寂しかった記憶だ。時計の音は容赦が無い。確実に時の経過を刻む。自分だけが無為に過ごしているようで不安にさせる。早く学校に行きたいと泣きそうになりながら思っていた記憶が甦ってきた。」というもの。改めて童心を思い出せられているが、この時も近くの医院で痛い注射をしてもらって家で寝ていたのだろうなあ。

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