森のひとりごと

2020年12月31日

2020.12.31

 波乱万丈の一年が終わろうとしている。考えれば考えるほど、思い出せば思い出すほど大変な年であった。もちろん最大の問題は新型コロナウィルスという世界的なパンデミックがもたらしたものである。68年間の我が人生でもこんな暮らしにくい期間はなかった。戦争を知らない僕らの世代にとって初めて直面した国難と言っても過言ではないと思う。海外渡航ができないことから国際会議に参加することができず、国内の会議やシンポジュウムでさえも、その多くがリモート開催となってしまった。高校を卒業して以来の半生において、こんなに移動の少ない年は記憶にない。それでも社会は動いていくのだから、僕らは随分と無駄な移動をしてきたのかも知れないなあ。いろいろと考えさせられる。コロナ禍についてはいつかゆっくりと考えてみたいものだ。
 今日は、この一年にわが身に起きたあれこれを箇条書き的に拾ってみたいと思う。まず1月、 転んで前頭部を激しく床にぶつけるということがあった。 2月には右手の親指を切って5針も縫うという大怪我をした。すべては老化のせいであろう。3月には念願であった路面電車の南北接続事業が完成し大きな達成感に浸ることができた。コロナ禍の中での3月21日の記念式典とイベントの実施については僕自身の中でも知らずに緊張感があったのだろうなあ、3月の末から違和感のあった左手が4月に入って異常を来たし、診察の結果、帯状疱疹だと判明した。入院して治療を開始したのだが、4日目に市民病院内にコロナのクラスターが発生。ベッドを空けるために僕が真っ先に退院することとなり完治しないまま点滴治療を終了。以降、左手のひらの痺れと神経痛に悩まされている。一方では、97歳の父の入院によって梨畑での作業を一人で担うこととなった。防除作業は近所の方に全面的に依頼したものの、交配、摘果、収穫、剪定と一連の作業を多くの人に支えられながらなんとか終えることができた。改めて若い頃からの両親の苦労を思い、農の心に触れることができたと思う。これからの僕の後半生の一つの指針を得たと思っている。夏以降はチーム新田の運動に力を注いだ。市長としての公務をこなしながら知事選挙に向けてのキャンペーンに取り組む。そして知事選挙本番。その間も農作業は待ってくれない。朝は4時半か5時には起きて6時半から8時までは農作業という日が続いた。神経痛に苦しめられながらも必死に頑張る日々であり、充実した日々であったと思う。そんなこともあり、今年は一度も登山をしなかった、一度もヨットで海に出なかった。左手が思うにまかせないので一度もゴルフをしなかった。そういう寂しさを感じているものの、それ以上の体験を重ねる1年であった。ここにきてさらに新しいことに取り組んでいる。雪が解けたら始めなければならない梨の枝の結束作業のための男結びの習得のための練習である。思えばそんなことも知らずに馬齢を重ねてきた梨専業農家の長男なのだ。情けない限りである。いろんなことを考えさせられる1年であったなあ。来る年も良い年にしたいものだ。4月には大きな節目が来る。僕にとって新しい時代が始まるとも言える。まとまりのない駄文となってしまったが1年の結びとしよう。

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