森のひとりごと

2021年4月24日

2021.04.24

 久しぶりに筆を取る。4月に入り退任の日が指呼の間に近づくと、毎日様々な思いが頭をよぎり軽々に筆を持つことができなかった。昨日、無事に晴れやかな気持ちで任期を全うすることができた。今日は心中に一店の曇りもないほどにさわやかな心境である。そのことを伝えたくて久しぶりにパソコンに向かった次第。これからも折に触れて雑文を綴っていきたいと思う。お付き合いいただける人がいたら幸いである。
 昨日、幹部職員だけに集まってもらい退任に際しての挨拶をした。長文なのだが、敢えて掲載したいと思う。時間のある方がいて興味を持ってもらえたのならお目通し願いたい。なお、冒頭に載せた写真は、5回の市長選後に全国市長会から交付された市長バッジである。僕はあまり使用しなかったが、最初のものは既に色あせている。19年の歳月を思う。多くの皆さんに感謝したい。有難うございました。

 市長退任式 挨拶(令和三年四月二十三日)

本日をもちまして任期満了により市長を退任するにあたり、職員の皆さんに一言ご挨拶申し上げます。本日、退任の日を迎えるまで、旧富山市において一期、新市において四期、通算十九年余りにわたり、健康で市長としての職責を全うすることができましたことは、私にとりましても感慨の極みであります。ここに、これまでご支援・ご協力を賜りました市民の皆様をはじめ、議員各位並びに支えてくださった職員の皆さんに、心から感謝を申し上げます。

顧みますと、私は、活力にあふれ、市民の皆様が真の豊かさを実感できる「とやま新時代」の実現を目指し、平成十四年一月に、四十九歳で旧富山市長に就任して以来、 ひたすら富山市勢の発展と市民福祉の向上のため、全身全霊を傾けて、市政を推進してまいりました。

この間、私は、「知行合一」の言葉を胸に、「自ら行動し、実践すること」を常に意識し、職員の皆さんとともに汗を流し、ときには喜びや苦しみを分かち合いながら、数多くの様々な施策や事業を実施してまいりました。

今、その歳月を振り返りますと、数えきれないほど多くの出来事が走馬灯のように駆け巡ると同時に、様々な思いが胸中に去来いたしますが、私にとりましてその一つ一つが大きな喜びとして強く胸に刻まれております。

平成十四年一月に初めて市長に就任してから今日までの在任期間中、常に私の市政運営の根底にあったものは、
① 人口減少と超高齢社会の進行という、誰も未だ経験したことのない社会構造の大きな変革への挑戦
② 将来にわたり持続可能な都市構造への転換
③ 二十年後、三十年後の将来市民にも責任の持てるまちづくりの推進
ということであり、この三つのテーマを限りなく追い求め続けた十九年余りでありました。

 私が任期中に取り組んだこととして、まずは、何があってもやり抜くという強い決意と覚悟で取り組んだ市町村合併については、平成十七年四月に旧富山市と周辺六町村が大同合併して新富山市が誕生し、「川上から川下まで」を一つの自治体が一体的に管理することができるようになったことは、大変意義深いことであり、合併後において私は新富山市の初代市長として、新市建設に向けて苦労を共にした各首長の思いを絶えず意識しながら、合併協議で議論されたことを一つ一つ具現化していくとの強い思いで、市政を担ってまいりました。

また、旧富山市の市長に就任した翌年からは、公共交通の活性化、公共交通沿線地区への居住推進、中心市街地の活性化を三本柱とする「公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトなまちづくり」を政策の中心に置き、今日に至るまで強い意志と覚悟を持って一貫して取り組んでまいりました。

平成十八年四月に旧JR富山港線を公設民営方式により日本初の本格的なLRTとして再生した富山ライトレールが開業したことを皮切りに、平成二十一年十二月の市内電車環状線の開業、そして昨年三月にはコンパクトなまちづくりの一つの到達点である路面電車南北接続事業が完成し、市内に全長十五キロメートルに及ぶLRTネットワークが形成されるとともに、「市民百年の夢」であった市街地の南北分断が解消され、本市の歴史に新たな一ページが加えられることとなりましたが、このことは私自身にとっても、市長就任当初から目指してきた、将来市民にも責任の持てる持続可能なまちづくりが目に見える形で結実したものであり、路面電車南北接続事業の完成によって、次世代に引き継がれる都市構造を実現できたことは、大変感慨深いものがありました。

 さらに、角川介護予防センターやまちなか総合ケアセンターの整備など福祉・医療の充実のほか、こども医療費助成制度の拡充や保育所の改築、こどもプラザの整備など子育て環境の充実、小・中学校の耐震化の推進、中心部における統合小学校や八尾地域における統合中学校の整備、元気な学校創造事業などハード・ソフト両面における教育環境の充実、企業団地の造成やSketch labの整備など雇用創出や、創業及び新産業育成に向けた支援、ガラス美術館や中規模ホールの整備による芸術文化の振興など、「選ばれる都市」の実現を目指し、都市の魅力や総合力を高めるための様々な施策に取り組んでまいりました。

 こうした本市の持続可能で重層的なまちづくりが国内外から注目され、平成二十年の環境モデル都市や平成二十三年の環境未来都市、平成三十年のSDGs未来都市に いずれも国内第一号の選定を受けることとなりました。また、平成二十四年六月に、 OECDのコンパクトシティ報告書において世界の先進五都市の一つに選ばれたことを皮切りに、平成二十六年には、国際連合のエネルギー効率改善都市やロックフェラー財団の一〇〇のレジリエント・シティ、平成二十八年に世界銀行の都市間パートナーシップ・プログラム参画都市に選定されるなど、国内はもとより世界の多くの都市が抱える課題の解決に向けた一つのモデル都市として国際的にも高い評価を受けたことは、非常に名誉であり、本市のシティプロモーションの向上に大きく寄与する大変喜ばしいことであります。さらに、私個人としても、令和元年五月に、当時世界の六十一名の 首長で構成されるOECDのチャンピオン・メイヤーズに選出されたことは、大変光栄なことであり、望外の喜びでありました。

 今日、各種調査におきまして、本市が住みよい都市として高い評価を受けるとともに、企業経営者や従業員とその家族からも選ばれるようになってきていることなどは、職員の皆さんの大変なご努力のもと、コンパクトなまちづくりをはじめとする包括的な施策を弛まず地道に取り組んできた結果であり、在任期間中こうした数々の素晴らしい仕事に職員の皆さんと一緒に取り組めたことは、私にとりまして、この上のない喜びであり、まさに市長冥利に尽きるものであります。

また、この二十年の間で、市民の郷土富山に対する愛着や矜持といったシビックプライドが大きく向上したと感じられるようになったことも、我々が一生懸命仕事に取り組んできたことの一つの成果であると受け止めており、これからも市民の皆様が自分の住む街を誇りに思い、幸福感や充実感に満たされながら、「富山市に住んでよかった」「いつまでも住み続けたい」と心から思ってもらえるような富山市政が実現されることを期待しております。

さて、私は十九年前に旧富山市の市長に初当選後、初めて臨んだ市長就任式で、職員 の皆さんに対し、仕事に臨む基本姿勢として
① 目的達成の原点を見失わず、議論に埋没したり、技術的なことに拘泥しないこと
② 失敗を恐れず、先例にとらわれず、思い切って取り組むこと
③ 制度や法の先にある正義の実現を目指し、市民の負託に応えること
の三点をお願いしました。

 また、平成十七年四月に新富山市の初代市長として臨んだ市長就任式では、
① 他とは違っているか
② 新しい刺激に満ちているか
③ 時の試練に耐えうるか
を絶えず意識して仕事に臨むことを求めました。

このほかにも、私は、富山市役所が質の高い、強い組織となることを目指して、 年頭や年度開始などの節目において、職員の皆さんに様々な言葉を用いて意識改革の重要性を伝えるとともに、人材育成など様々な取組を積極的に行ってまいりましたが、結果として、富山市役所の組織力は、この二十年の間で格段に向上を遂げたことを実感しております。

 私は本日をもって市長の職を退任いたしますが、職員の皆さんには、強くなった市役所の組織文化というものをしっかり継承するとともに、富山市職員であることの自信と誇りを胸に抱いて、新市長のもとで市民一人ひとりの生活の質の向上に引き続きご尽力いただくことをお願いするものであります。

結びになりますが、謹んで富山市の限りない発展を祈念いたしますとともに、皆さんがご健康で、市勢発展と市民福祉の向上のため、益々ご活躍されますことを心からお願い申し上げまして、甚だ意を尽くせませんが、退任のご挨拶とさせていただきます。

職員の皆さん、長い間本当にありがとうございました。

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