森のひとりごと

2021年6月3日

2021.06.03

 自宅のすぐ近くにため池がある。(いや、あったと言うべきか。) ため池の名前は柿ノ木原と言う。国の方針によって数年前から全国でため池の安全度の調査が行われている。同時に既に用をなさなくなっているため池の廃止も進んでいる。わが家のある集落にはかってたくさんのため池があった。河川のない地域なので田んぼに水を供給するためのため池は大切な資源であったのだ。しかし水田が梨畑に形を変え、また宅地化も進むとため池の必要性がなくなり、順番に姿を消していったのだ。わが集落に最後に残っていたのがこの柿ノ木原というため池だった。それもこの数年間はまったく湛水していなかった。そして最近になってこのため池の廃止の工事が始まったのである。
 このため池について、子供の頃からの思い出がある僕としては少しばかり感傷的になりながら工事の様子を眺めているのだ。娘たちが幼かった頃は、ため池に近づかないようにするために「あの池にはワニが住んでいて、近づくと大きな口で食べられるぞ!」などと脅していた。(今なら児童虐待だといわれそう。)今でも娘たちはこの池のことをワニの池と呼んでいる。それよりも、僕の思い出として一番大きなものはこの池で泳ぎを覚えたことである。小学生の頃に呉羽地域にプールは無く、わが集落の子供たちは殆どみんなため池で泳いだものだった。最初は竹を切ったものを浮き輪替わりに使って泳ぎ始めるのだが、そのうちに上級生がこの竹をスルッと回して使えなくしてしまい、知らないうちに我流の泳ぎを身に着けたということだ。ため池だからもとより背丈以上に水があるので、ずいぶん乱暴な水泳教室だったのである。それでも何とか泳げるようになると、翌年は5月でも暖かい日を選んで泳いだ記憶がある。親に言えないので水泳パンツを使えないからほとんど素っ裸で泳いでいたのだろうなあ。
 中学一年の夏に二年生の遊び友達数人と一緒にため池の隣地にある竹藪から太い竹を何本も切り出して筏を作ったことがあった。いくら太い竹でもちゃんと乾燥させなければ浮かばないことに気付かず、着水させた筏にみんなが乗ってみたら沈んでしまういうおバカな結果となった。それだけでは済まず、数日後の職員室で二年生の仲間がこっぴどく叱られているのに出くわした。首を洗ってお沙汰を待っていたのだが僕におとがめは無かった。おそらく一年生の僕は付き合わされていたのだろうという判断だったのだろうが、企画を思い付いて主導したのは僕だったのだけどなあ…。そのころ既に要領の良さが身に付いていたということか。
 いずれにしても思い出の柿ノ木原がもうすぐ姿を消す。こうやって時代が移ろっていくということだ。だからと言って思い出に浸っているだけの毎日では情けない。これからも新しい思い出作りの日々にしなくてはな!!

思いでの池の廃止工事

週刊ブログ関連記事

週刊ブログ

エッセイ