きれいな街並みはいかが

森 雅志 2003.05


 子供の頃、自分の部屋が知らない間に掃除されていると無性に腹が立った記憶がある。おそらく自分の領域に第三者の手が入ったことが許せなかったのだ。決してきれいにされることが腹立たしかったのではあるまい。埃だらけの空間よりもすっきりとした空間のほうがいいに決まっているのだから。
 街も同じことだと思う。吸い殻や新聞紙が風に乱舞し、空き缶がそこここに転がり、塵芥が飛散するような街よりも、きれいに清掃された街路や緑あざやかな植栽が目に飛び込んでくるような街のほうが気持ちがいいに決まっている。ケバケバしい広告看板やいかがわしいチラシがあふれる街よりも爽やかなデザイン広告、おシャレなポスターなどが街頭を飾る落ち着いた街のほうがいいと多くの人は思うだろう。
 市民あげてそんな街を創りたいとの思いを込めて「富山市まちの環境美化条例」を制定した。公共の場所における吸い殻、空き缶などのポイ捨てや違法立て看板の設置、ピンクチラシの配布などを禁止したものであり、当たり前のマナーを規定したものである。
 ところが、ピンクチラシの規制について思想・信条の自由を侵害するものだと言う人がいて驚いた。普通の常識人ならそんな発想をしないものだが、規制と聞いただけで権力、抑圧と連想する人たちがいまだにいるらしい。また落書きについても、大衆の声やメッセージが込められているとして擁護する人がいた。擁護どころか器物損壊罪の教唆に近い発言であり耳を疑った。文化大革命の時代の壁新聞と同じだとでも言うのであろう。更にはこの条例からホームレスの排除というニュアンスを感じるという人が出てくるに至っては開いた口がふさがらない。
 清潔できれいな街並みを創出しようという趣旨を素直に受け止めればいいものを、ことさら規制という点を強調して不安を煽ろうとする時代錯誤的な人たちとは所詮意見が合わない。世の中には何にでも反対を唱える人たちがいるものだ。そうすることが進歩的文化人の沽券だと思っているのだろうが、僕はこういった「進歩的」な人たちが今の日本から「公」概念を喪失させたと思っている。
 子供の頃の僕のように勝手に掃除するなと腹を立てたり、小難しい理屈を並べる前に、社会の一員として行動することが大切だと思う。先ずは目の前のゴミを拾いましょうヨ。



目次