死んだ魚たちへの苛立ち

森 雅志 2004.06


 二十代の若者と接する折りに時々違和感を覚えることがある。こちらからの語り掛けに対して相手の反応が鈍いと感ずることがあるのだ。うまく表現できないのだが、手ごたえがないと言ったら良いのだろうか。
例えば一緒に何かの作業をするとしよう。こちらが段取りを説明しても解かったのかそうでないのかが表情に表われないのである。心配になって尋ねてみるとちゃんと理解している。まあ,そんな具合だ。
それでいて仕事をこなすことを嫌がっているわけでもなく、別に不機嫌だという風でもない。何故なら指示されたことはキチンと処理するのだから。もっとも作業が済んだからといって、次は何をしようかという顔は見せないのだから困ってしまう。
そこで仕方なく会話の途中で「僕の言っていることが解かっている?」とか「これが済んだら次はこれ!」などと確認をすることとなるのだ。いやはや。
とにもかくにも、彼らの考えていることや反応が彼らの目の動きから伝わってこないということなのだ。目に力がないどころか表情がないのである。若鮎のような世代でありながら死んだ魚のようなのである。こちらがキッと相手を見つめて話しても、死んだ魚の目のように何処に焦点が合っているのか分からない目で返してくるのである。
いったい何時からこういう若者が増えてきたのだろうか。そして何故そうなったのだろうか。食生活に問題があったのだという人がいるかもしれない。過保護が原因しているということもあるかもしれない。教育の現場で競争ということが希薄になったからだとする人もあるだろう。良くは分からないのだが、気が付いたらそういう若者に出会う時代になっていたということは確かなことなのだ。
僕はテレビゲームであれ携帯メールであれ、相手に対して相槌を打ったり首を振ったりしなくても進行していく環境にどっぷりと浸かってきたことが影響しているのではないかと思う。キーボードを通して会話をし、バーチャルな世界で遊んでいるうちに他人とコミュニケーションを取ることが上手く出来なくなってしまったのではないのだろうか。
原因はともかく,若者に広がる「死んだ魚の目」現象を何とかしなくてはならないと強く思う。自分だけの世界から飛び出し,他人との交流の中で会話を楽しむことや感動に出会う意味を教えていくことが大切だと思う。




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