物いえば…

森 雅志 2005.06


 「物いえば唇寒し秋の風」。有名な芭蕉の句である。古来、この句は「何か言うと他人から批判されることになるので黙っているにかぎる」という意味だと解釈されてきたし、僕もそう思っていた。しかし、芭蕉の他の作品の中には教訓めいた句は殆どないことから、先の解釈は間違っているのだとする説があるそうだ。急に寒くなった晩秋の朝、口を開いてみたら寒かったという驚きと季節感を表現しただけなのだという。言われてみればそうなのかも知れない。後になってどこかの論語読みが教訓化していったものなのかも…。
 芭蕉の句の解釈がどうであれ、あまり喋りすぎると時々それが舌禍事件などとなってエライ目にあうことが起きることは間違いない。「口は災いの元」という事が起きるのだ。
 誰しもそんな失敗は何度も経験しているところだろう。僕もしかりである。調子に乗って喋りすぎて痛い目にあった経験は数多い。もっとも失敗を重ねてくると学習もするもので、歳を重ねるにつれてお喋りな性行も変化を見せてきたと思う。そのうえに社会的な立場も加わればいっそう自重気味にならざるを得ない。考えようによっては有り難いことか。
 だからと言って寡黙でありすぎるのもいただけない。主張すべき事は口にしなければならないし、何かを糺す時には声を大にすることも必要なのだ。そんな姿勢で生きていかなければならないと思ってきたのだが、どうも最近の僕はお利口になりすぎているのかも知れない。失敗に懲りて大人しくしすぎなのかも知れない。何かがあったからという訳ではないのだが、漠然とそんな思いに囚われているのだ。闘争心の衰退とでも言うべきか。色々なことを慮るあまりに牙も爪も丸く整えられてしまっているのではなかろうか。加齢がもたらす落ち着きというものなら良いのだが、そうではなくて防御や保身に向かおうとしているとしたら問題である。
 モラルハザード、教育力の低下、人情の希薄化、公の意識の喪失など時代は腹の立つことばかりである。そんな世相に対する闘争心をもう一度回復させなければならないと思う。青臭いと笑われても主張すべき事を主張していこう。世相に流されないで生きていこう。
 腹立ち紛れにそんなことを思っているが、何を主張しようとするのかということこそが重要なのだ。この際、唇が寒くなっても良いから「靖国問題は国内問題なのだ。」と言い放っておくか。



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