CoDoMoの携帯

森 雅志 2008.07.01


 僕が初めて携帯電話を(と言っても車に搭載する移動電話のことだが)購入したのは昭和60年のことだ。その頃はまだ移動電話は珍しく、車に同乗した人の多くは用事もないのに電話していたものだ。使用料が月額2万円から始まり1通話ごとに60円が加算されるという高額なものだったので、そんな時は気が気でなかった記憶がある。それでも、毎日の忙しさをポケットベルと公衆電話の共用で乗り切っていた日々と比べれば、ストレスをためないという意味において安い買い物だったと思う。爾来、23年間も携帯電話のお世話になってきた。その間に携帯電話の機能も大きく進化し、最近のものは僕の能力では使いこなすことが出来ないほどである。
 最近、外国でもそのまま使える機種が欲しくなり、AUからDoCoMoの携帯に変えたのだが、電話会社が変わっても電話番号がそのまま使えることが有り難かった。便利な時代になったものだと思う。しかし、どんなに進化しても所詮は道具なのだということを忘れてはならない。まずは生身の人間同士の関係があって、人と人をつなぐ通信の道具として携帯があるのである。
 最近テレビで知った数字だが、子供たちの携帯電話の保有率が小学生で約3割、中学生で約6割に上っているそうだ。にわかに信じられない数字である。そのうえ今の子供は顔を見たこともない人とメール友達になっていて、それも平均して5人のメル友がいるのだそうだ。そして毎日50通以上のメールを交換し、メールの返信が来ないと不安になるという。どう考えてもこれは異常事態である。子供がまったく面識のない人とメールをやり取りしているさまを想像すると愕然とする。友達を作るということはそういうことじゃないだろう。話をする必要がある人はもっと近くにいるのじゃないのか。目を見て話したり、肩を抱き合って笑ったり、一緒に走ったり、同じ映画を見て泣いたりしながら友情を育んでいくものじゃないのか。その友情を深める道具として携帯が使われるのなら良いのだけれども、メールの世界で面識のない人と友情を育んでいるのだとしたら、それは哀しい時代だと言うべきだと思う。
我が家の娘も中学の頃に携帯を欲しがったが持たせなかった。娘には嫌われたかも知れないが今になってみると良かったと思う。DoCoMoの携帯は便利でもCoDoMoには要らないものだと言いたいのである。


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