鉛筆、削った?

森 雅志 2008.10.05


 僕には五歳上の姉がいる。ある朝、わけも無く突然に、子供の頃にしばしば姉と交わした会話を思い出して苦笑してしまった。
 「雅志!鉛筆ちゃんと削った?」
 「上手に削れんから、姉ちゃん削って。」
そうなのだ。あの頃は登校前に小刀で鉛筆を削るという作業が必要だったのだ。そして上手に削ることの出来ない僕は、いつも姉の手を煩わせていたのである。僕は姉がどうしてあんなにきれいに鉛筆を削れるのか不思議でならなかった。やがて姉は中学に進み、僕は自分で鉛筆を削らなくてはならなくなった。しかし不器用な僕は姉のようにはとても出来ず、毎日不細工な鉛筆を使って悪筆を続けていた。やがて我が家にも機械仕掛けの鉛筆削りが登場し、朝の鉛筆削りという悩みは解消されたのだが、上手に鉛筆を削れる人に対しては今も強い憧れを感じているのだ。
 ところで、鉛筆が削れない僕でも包丁で梨の皮をむくのは得意としている。梨の専業農家に生まれたのだから小さい頃から一人で皮をむいていたのは当然であろう。したがって今年から挑戦している料理の場でも、包丁でジャガイモの皮をむく作業など苦にはならない。昔とった杵柄というやつだ。ところが、我が家の娘たちは梨農家の生まれなのに包丁を使って皮をむく作業が苦手なのである。長女は勤めた会社で仕込まれて何とかできるようになったようだが、情けない話だと思う。
 姉に鉛筆を削ってもらっていた僕は今も上手に出来ないし、親に梨をむいてもらっていた娘は大人になって苦労している。つまり、人間は小さい頃からの仕込み方が大切だということだ。なにも職人芸ほどに技術を磨く必要はないけれど、日常生活で求められる普通の技術は小さいときから人並みに仕込んでおくべきだと思う。
 このままではシャープペンシルがあるから鉛筆そのものが要らないという人や、料理で使うピーラーで梨の皮をむけば良いじゃないかと言う人も出てくるだろう。いや、既に小刀を使う子供はいなくなっていて、リンゴの皮をむいた経験のない人が沢山いるという状況になっているのかもしれない。
 皮をむかないといけないからという理由で梨やリンゴが敬遠されているという話も聞く。種があるからスイカやブドウを食べたくないという声も聞く。皮をむいたり種を出したりという手間を厭う時代になってしまったのだとしたらあまりに寂しい。
 味覚に限らず運動や創作活動、あるいは趣味の世界でも、当然ながら仕事であっても言えることだが、ひと手間掛けるからこそいい味が出せ、出来栄えが輝き、あるいは喜ばれる仕事が出来ることを忘れてはならないと思う。先にも述べたが、そのためにこそ成長過程である子供時代のうちに将来のために身につけておくべきことをしっかりと仕込んでおくことが大切なのだと思う。
僕も鉛筆を削ることからやり直すべき?


目次