恥じる気持ち

森 雅志 2013.07.05


 早朝から風呂の掃除をする。裸になり膝をついて洗剤を使いながら床を磨く。浴槽に入って中をスポンジで洗う。天井までとはいかないけれど壁面も磨く。入り口の引き戸の取っ手などに薄くカビ状の汚れがある場合などは、前日の夜からカビ取り用の洗剤を浸したティッシュペーパーを貼り付けておくとまことに具合が良い。すっかり磨き終えるとシャワーを全開にして泡を水で洗い流す。ボディウオッシュやシャンプーによって白く汚れていた床面などがピカピカになるのが嬉しい。やり終えてしまうと実に気持ちの良い作業なのである。思わず「どうだい!」などと独り言ちてしまう。それからゆっくりとお湯を張り、身体を温めてからシャンプーなどをする。そうやってまた少しずつ床を汚していくのだけれども…。
 ところが、その気持ちの良い作業がなかなかできない。床が白く汚れてきたことに気付きながらも、つい先延ばしにしてしまう。寒い季節には特に横着になってしまう。それでも1カ月に一度はどうしてもやらなきゃいけない時期がやってくる。それは次のような事情があるからである。
 わが家は月に一度のペースで家事代行の事業所に風呂やトイレ、台所などのクリーニングを依頼している。この人たちの作業は実に丁寧で細かい。おかげで汚れがちな場所がいつも清潔に保たれているのだ。そして、その月に一度の訪問清掃の日が近づくと、先に述べた僕の早朝風呂掃除が実施されることとなる。見ようによっては実に滑稽なことである。せっかく専門の人が綺麗にしてくれようとしているのに、その日が近づくと重い腰を上げて下手な作業に精を出す。放っておいても同じように綺麗になるのにもかかわらず頑張ってしまうのである。まことに滑稽である。滑稽ではあるが、そうしないわけにはいかないのだ。現場にやって来た担当の人に「なんて汚れているの!」などと思われたくないからである。恥じる気持ちがそうさせるのである。
 そんないささか不純な動機で動き出すのではなく、汚れないようにいつも体を動かせばいいことは分かっている。分かってはいるのだけれど上手く自分を律することができない。面倒なことを先延ばししてしまう。横着な自分、ズボラな自分が出てきてしまうのだ。そんな時に恥じる気持ちが僕を動かしてくれるのだ。しかし、それで良いのじゃないかと思う。人の自律心なんてそんなものなんだ。みんなそうやって生きていくのだと思う。
 知人にこの話をしたら、子どもの頃に家庭訪問があると、玄関だけじゃなく家中を掃除させられたと思い出を語ってくれた。なるほどねぇ。
 確かに僕も靴を磨いてもらおうとするときに、あらかじめ軽くティッシュで拭いたりする。歯医者さんに行く前に歯を磨いたりもする。やはり恥じる気持ちがそうさせているのだ。そしてそれが相手に対するマナーでもあると思う。対価を払ってサービスを求める場合であっても、相手に対する人間としての慎みを忘れないことに繋がっているのだと思う。自分が「お客」だからといってわがままを言う人たちを見かけることがあるが、実にみっともないと思う。そんな振る舞いを恥知らずというのである。恥知らずな生き方だけはしたくないと思う。
 今度からは髪を洗って、ヒゲを剃ってから散髪に行きますかな?


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