キトキト、ドキドキ

森 雅志 2013.12.05


 富山の人は宣伝下手だとかアピール力が弱いとか言われることがある。控えめにしていることや自慢話をしないことが慎みのある態度なのだと考える人が多いということなのだろう。それはそれで一つの美徳なのかもしれない。ところがそういう態度に留まらず、自分たちを卑下するような言い方や郷土をおとしめるような物言いになると問題である。例えば次のような言い方である。
 「富山にちゃ何もないちゃ。」
 「言われるほどでもないちゃ。」
 「大したことないちゃ。」
こんな感じである。おそらく本当に卑下しているのではなく、単に謙遜しているだけなのだろうけどね。へりくだった言い方の方が礼儀正しいと思っている節もある。でも、とんでもない誤解を生む場合もあるので気をつけなければならない。本当に何もないところだと勘違いされても困るしね。
 9月に国際会議場で開催された日本政策投資銀行の藻谷浩介さんの講演でもそのあたりが強調された。藻谷さんは、そもそも富山の自然や味覚や美術館などの施設を観光の売りにしようとしても、それだけでは現代日本人は魅力を感じないと言う。富山の「人間臭い暮らし」の発見の先にこそブランドがあると言うのである。そうであるにもかかわらず、県外から来た人たちが素晴らしいと感じた富山の魅力を口にした時に富山の人がしばしば口にする「そんなもん大したことないちゃ、当たり前やちゃ。」という言い方が良くないと言うのだ。それは謙遜どころかお客様に対する侮辱にあたるのだ。決して「何にもないちゃ」とか「大したことないちゃ」とかを言ってはいけないと指摘する。そして「当たり前」ではなく「ありがとう」と応えるべきだと言うのである。
 確かに、謙遜しすぎるのは良くないと思う。お客様に褒めてもらった時や評価してもらった時には素直に「ありがとう」と言う方が自然だと僕も思う。ありがとうは有難うと書く。有ることが難しいということだ。得難い存在だということか。そんな得難いものを富山が持っていると評価されたとしたら、「大したことないちゃ」は良くないだろう。素直に「ありがとう」とか「おかげさまで」と言うべきだということだ。みんなで気をつけて行きたいものだ。
 先にも書いたが、大自然や施設や味だけでは魅力にならないと藻谷さんは言う。「ひと」が前に出てこないといけないということだ。観光キャッチコピーの「きときと、パノラマとやまに来られ」には「ひと」が感じられないとも指摘した。そう言われてもねぇ。
 キトキトと言えば、最近引っかかっていることがある。羽田からの便で富山空港に着陸するときにANAのアテンダントが「富山キトキト空港に着陸しました。」とアナウンスすることがあるのだが、それを聞くと恥ずかしさを感じてしまうのは僕だけだろうか。恥ずかしさのあまり、聞こえない振りをしてじっと下を向いてやり過ごしているのだ。キトキトは普通、新鮮な魚などを形容する富山弁である。時にはピチピチとした若者を形容するために使うこともある。しかし机や車や建物に対してキトキトは使わない。そんなことからキトキト空港という表現に違和感を禁じえないのだろう。いっそ富山ドキドキ空港とした方が楽しい。恋が芽生えるかもしれないというトキメキ感あふれるドキドキ空港。どうでしょうか。(事故が起きるかも知れないドキドキ感じゃ困るけどね。)


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