蚊帳のなか

森 雅志 2014.08.05


 シルバー人材センターにお願いしてわが家の障子すべてを張り替えてもらった。7、8年ぶりのことだと思う。日当たりのせいで少し赤みを帯びていた障子が真っ白になって帰ってきた。おかげでシャキッとした気分になることができた。
 ところがそんな気持ちが冷めてしまう間もなく、今度はせっかくの障子戸をはずして簀戸に入れ替えることとなった。情けないことに、夏の風物詩ともいうべき簀戸への取り換えを自分ですることができない。ずいぶん前にやってみたことがあるが、戸を入れていく順番や一枚一枚の戸が収まるべき最適の場所が分からず大変に苦労した記憶がある。餅は餅屋のたとえどおり慣れた方にお願いすることが一番だということで、毎年この時期と秋口の二度、簀戸と障子戸の取り換えを知り合いにお願いしているのだ。
 それはともかく、やっぱり夏は簀戸がいいなと思う。断熱性に優れた最近の住宅の効率性のいい空調管理もいいけれど、和室に簀戸を入れて風を室内に入れるのも風情がある。わが家は在来工法による和風建築なので、廊下の戸を開け放ち、簀戸も開けると家の中を気持ちの良い風が通り抜けていく。昔はそんな部屋で昼寝をしたものだ。今は日中ほとんど家にいないのでそんな気持ちのいい昼寝を楽しむことは出来ないけれど、簀戸が入ることで日本の夏とでも言うような気分を楽しむことができる。
 簀戸に入れ替わった夜、久しぶりに座敷でくつろいでいると、急に子供のころにわが家にもあった蚊帳を思い出した。あのころはエアコンが無かったので、夜は蚊帳を吊って風を入れて寝ていたのだ。眠るときに蚊帳の端を大きく開けて中に入ろうとして何度も叱られたことが思い出される。蚊帳の中に蚊を入れてしまっては何のための蚊帳か分からなくなるので叱られるのは当然だ。きっと網戸の性能が良くなったころから蚊帳を使わなくなったのだろうなあ。それでも小さかったころの蚊帳の記憶は鮮明である。子供なりに蚊帳の中の空間が一つの世界のように感じていたことを忘れない。
 思想家、安岡正篤の言葉に「六中観」というものがある。修養姿勢とでも言えばいいのか、あるいは「座右の銘」とでも言えばいいのか、いや、生き方の指針を示す言葉だと言えば分りやすいのかもしれない。その「六中観」とは、死中有活、苦中有楽、忙中有閑、壺中有天、意中有人、腹中有書の六つを意識することが大切だということ。この中の壺中有天という言葉を初めて知った時に、ああ蚊帳の世界だなと直感した。蚊帳の中のように自分なりの世界を持つことが大切だということだと思う。蚊帳中有天ということだ。
 子供のころに感じていた蚊帳の中の世界観のことを考えていたら無性にもう一度蚊帳の中で眠ってみたくなり、遊び心から買ってしまった。僕が夏の間、エアコンのない部屋で網戸からの涼風を頼みに汗みどろで眠っていることは以前にも書いたことがあるが、その部屋で昔のように蚊帳の中で眠ろうという魂胆なのである。さすがに長押にフックで掛ける本格的なものはどうかと思い、自立式の蚊帳にした。早速セットした夜はウキウキしながら、叱られないように小さく裾をあげて蚊帳の中に滑り込んだ。そして「この空間こそ俺の宇宙だぁ!」などと独り言ちて眠りに落ちていった。独り悦に入ってる僕は世間との関係でみれば蚊帳の外なんだろうけどもね。



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