『おおまか、おおらか、だいたいで』

森 雅志 2016.05.05


 亡き妻が入院してしまい、必要にかられて家事をするようになってから5年半になる。思えばずいぶんと時間が流れたものだ。
それ以前は、1年に1・2度料理をすることがあった。それは遊び心で包丁を握っていただけで、いわゆる男の料理の真似事をしていただけだったのだ。とても家事としての料理ではなかった。それが突然に家事をやらざるを得なくなったのだから当初は本当に大変だった。でもまあ、ママゴトみたいにやりながら何とか5年半過ぎたということだ。今にして思えば、料理や掃除、洗濯や片付けなどを娘たちと一緒に楽しみながらやってきたので、あっという間の時間だった。親子のきずなを強くするための時間であったと思う。
最初は、滑稽なくらいに道具から入ろうとした。何となく便利そうに思えるとすぐに新しい器具を求め、調理用品を買ったりした。掃除をするロボットを2台も購入したりしたのだ。廊下の大きなガラス戸を掃除するために、ガラス窓拭きロボットまで買ったのだが、これはひどい失敗だった。今は不用品となっている。
レシピ本を見ながらなぞろうとするあまり、計量カップや大・中・小の匙にこだわり、火加減や調理時間にとらわれてばかりいた。その結果、何をするにも時間がかかり、同時に複数の調理をする余裕がないという体たらくであった。ワイシャツの袖のボタンが取れたとなると、急いで針を使うことなど出来ないので、何日もそのままにしておいて時間の取れる日に指先を刺しながら付けていたのだ。また、訪問客の予定も無いのに、依怙地になって早朝4時から廊下や玄関の掃除をしていた日もあった。出来もしないのに高得点を取ろうとしていたのであった。懐かしい思い出である。
ある時、亡き小林カツ代さんの簡単レシピ本に出合った。目から鱗とはこういうことかと思わされた。便利な調理器具のない時代でも、多くの主婦は上手に手際よく料理をし、掃除をし、洗濯をし、家事全般をしていたのだなあと思い知らされた。そして最近、目の鱗をもう一度剥がされたのが後藤由紀子さん著の「毎日続くお母さん仕事」という本である。この著者は忙しい中で家事全般をきちんとやるための極意を「おおまか、おおらか、だいたいで」と言ってのけるのである。「家事、育児、何につけても、きちんと勉強したことはないので、しっかりした理念に基づいた定義があるわけでもなく、毎日手探り状態で暮らしていくうちに、『こんな感じ』というわが家のやり方がひとつひとつ形になっていきました。」と言う。そうなのだと思う。僕も最近は「こんな感じ」というのが少しずつ分かってきたと思う。いわゆる匙かげんという感じ。肩の力を抜いて、まあまあでやればいいんだと思うと逆にいい結果が出るものだ。なにせ家事仕事はやってもやってもゴールにたどり着けないものなのだから。例えばキッチンの掃除だけでもエンドレスだと思う。いくらやってもまだやり残したことがある気配。まさに「毎日続くお母さん仕事」なのである。
最近報告された県の調査では、「夫は仕事、妻は家庭」との考え方に反対だとした男性が55,1%でありながら、実際の家事分担では妻が81,4%を担っているという結果であったらしい。これが現実なのだろう。
男たちよ、もっと「毎日続くお母さん仕事」の理解を深め、せっせと役割分担に励みましょうか。僕は「毎日続くお父さん仕事」を楽しんでいるので大丈夫です!!


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