僕の髪型物語

森 雅志 2018.01.05


 髪型の話をしたい。自分の髪型の今までの変遷?を思い出してみたいのだ。薄くなって髪の話が出来なくなる日が来るかもしれないので、65歳の今が子供の頃からの髪型を振り返ってみる良い機会だと気が付いたからだ。
 子供の頃は前髪を切りそろえたおかっぱのような髪型だった。“マエダカ”という言い方を床屋さんがしていたと記憶している。友達も同じようにしていたのでその“マエダカ”スタイルに抵抗感はなかったけれど、高学年になると整髪に行くたびに眉毛を輪郭どおりにキッチリと剃られることに恥ずかしさを感じていたことが忘れられない。床屋さんの極端な眉毛剃りに違和感を持っていた。
 中学に入ると男子は全員坊主刈りであった。バリカンで頭が青く見えるくらいに刈りそろえていた。坊主頭は洗髪が楽なうえスッキリしているので自分としては嫌じゃなかった。学生服の詰襟姿に坊主頭は合っていたと思う。
 高校に入っても坊主頭であった。もっとも思春期特有のある種のナルシズムのような意識が働き、バリカンによる完全坊主頭からハサミ刈りの不完全坊主スタイルに少しずつシフトしていった。高校2年生の夏に翌年から長髪が認められることを知った僕は、その不完全坊主スタイルをほぼ長髪といえるくらいにまで伸ばしていった。あの頃は何の注意も受けない鷹揚な時代だったなあ。(生まれつき茶色の髪の少女を無理やり黒く染めさせたというどこかの高校との違いは大きい)
 さて、長髪が認められた高校3年生以降、僕のヘアースタイルは整髪剤でキッチリと七・三に分けるというものであった。肩まで届くような長髪が流行した時代でも僕のスタイルは変わらなかった。細身だった僕は足より細いようなズボンをはき、きちんと整髪するというアイビー・スタイルだったのだ。ジーンズをはくということもほとんど無かった。やがて年齢を重ね、体型が変わってからも七・三に分ける髪型は変わらなかった。
 このスタイルに変化が生じたのは50歳台になってからである。登山や乗馬を始め、バイクやヨットに乗ることを始めたからだ。アウトドア・ライフには短髪のほうが便利なのでかなり短くカットしていた時期もあった。やがて60歳に近づくと、いくらなんでも歳相応ということがあるのではと思い、少しずつ従前の髪型に戻していったのだった。
ところが、その頃から頭皮の炎症に悩まされることとなった。シャンプーを変えたり、整髪剤を変えたりしつつ皮膚科の受診も試みた。受診した医者から整髪剤を抑制すべきだとのアドバイスをもらい、ここ数年は髪を短くカットしてまったく整髪しないでぼさぼさ頭で暮らして来た。僕自身は頭皮のケアが楽でもあり、心なしか症状が和らいだので、ぼさぼさ頭で良かったのだが、多くの人からキチンと整髪しろとお叱りを受けることとなった。整髪を再開すると皮膚炎も復活するのではという心配を抱えながらもジェル状の整髪剤を使うこととした。  
そのうちに髪を染めることが良くないのだと指摘する人が現れ、試しに染めるのを止めてみると症状が和らぐことを体感することができた。もう白髪頭になってもいいから染めるのを止めると開き直っていたところ、最近になって多くの女性から、白髪頭は良くないので染めなさいと強くアドバイスされた。いったいどうしたら良いのだろうか。僕としては、整髪でも毛染めでもどちらでも良くて、どうしたら皮膚炎の症状を和らげることができるのかということが最重要課題。今は悩みながら過ごしている次第…。どうしようか?
僕の髪型物語はこれからも続いていく。最後はスキンヘッドで終わるのかな?


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