僕の昭和の記憶

森 雅志 2018.02.05


 写真アルバム「富山市の昭和」という本を買った。懐かしいあの日の富山の姿を思い起こさせてくれる写真集である。ページをめくっていると、心に残る思い出が次から次と甦ってくる。同時に65歳ともなると知らずにこういう本を求めて昔を懐かしむことになるのだなと思わされてもいる。
 さて、「富山市の昭和」なのだから戦前の写真も編集されていて、戦時体制の頃の記録もたくさん掲載されている。また、地域性にも配慮されていて、地域的な偏りのないように編集されてもいる。それは当然のことだと思う。しかし今回この稿を書くにあたっては、僕にとって強いインパクトがあった写真だけについて、僕なりのエピソードを何点か紹介させてもらうという我が儘をお許し願いたい。
 先ずは富山産業大博覧会関連の写真である。昭和27年4月に進駐軍による占領が終わり、復興も進んだことから富山市と県が共同して大博覧会を開催した。富山城址公園を中心に5万坪の会場に約40もの施設が開設され100万人を超える入場者で賑わったという。僕は母方の祖母に連れられてこの会場に行った時の興奮が記憶にある。しかしながら、この大博覧会の会期は昭和29年4月11日から6月4日までであり、その時点では僕はまだ満2歳になっていないことになる。2歳前の赤ちゃんの時代の記憶などある訳がないと誰もが思うに違いない。長じてから頭に刷り込まれたに違いないと考えるのが常識的であろう。それでも僕は確信している、僕の人生における最古の記憶がこの大博覧会だということを。僕の中の昭和の記憶の原点なのである。
 次に懐かしく見入ったのは稲架の前での脱穀作業の写真である。刈り取られた稲束を稲架の上にいる父に向かって投げるのだけれども、うまく投げられなかった歯痒さは今もくっきりと記憶の中にある。そんな思いで写真を見ていたら稲穂の匂いを感じる気がした。

 城山山頂にできたNHKのテレビ塔の写真も印象深かった。昭和33年の完成との記載があったが、家族そろって耕運機にひかせた荷台に乗って見に行った記憶が甦った。このテレビ塔に関しては、中学生の時に無断で塔に登って叱られた記憶も懐かしい。
 東京オリンピックの聖火ランナーの写真も懐かしい記憶を呼び覚ましてくれた。小学6年生だった僕は当時の呉羽町役場の前に並んで日の丸の小旗を夢中で振っていたっけ。
 そして38豪雪の写真である。家の周りが雪で覆われてしまい昼でも暗かったことを覚えている。家の前の県道は除雪が追い付かず車が通れないので雪に覆われた道の真ん中をみんなで楽しく歩いて登校したなあ。
 大川寺遊園地の写真も懐かしかった。長女が小さかった頃はまだ営業していて何度も行った記憶がある。二日酔いなのに娘にねだられてゴーカートやジェットコースターに乗り気持ちが悪くなったことがあったなあ。
 この本では僕の母校である呉羽小学校の空中写真も呉羽中学校の空中写真も掲載されている。どちらも今は建て替えられて記憶の中の校舎とは違うのだけれども、久しぶりに在学時の記憶に浸ることができた。また、高校2年生の時に起きた富山大橋の橋脚落下の写真も見つけた。おかげで小・中・高という若い時代の日々をたっぷりと思い出させてもらった。じつに奔放な時代であった…。
 あと1年と2か月ほどで平成の時代が終わることとなる。そんなタイミングで「富山市の昭和」という本に出会えたのも偶然ばかりとは言えまい。新しい時代の到来を前にしてゆっくりと来し方を振り返ってみろと言う啓示だったのかも知れない。有り難い機会を得ることができたと思う。お陰様だと思って、足元を見つめなおしてみたいと思う。



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