平成15年7月30日

 平成16年度採用職員の二次面接を終えた。1日に41人を面接するのはさすがに疲れてしまった。一人に10分掛けても7時間必要なのだから当然である。受験者にしてみれば生涯設計にも関わってくるのだから真剣にならざるをえず、それだけに強い緊張を見せるものもいる。真剣な表情の若者はすがすがしくて気持ちがよい。
 受験者の男女比はほぼ同数であったが、男性の多くが元気が感じられずおしなべて暗い印象であることが気になった。おそらく子供の頃から母親がべったりくっついて育てたのではなかろうか。真面目そうなのは良いことなのだがそれだけでは物足りない。一方、女性のほうは元気があって輝いている人材が多くいたと思う。楽しみな素材が目に付いた。

 こういったことは最近の世の中全体の状況なのかもしれない。いよいよ女性の時代なのだろう。僕のHPへのメールも圧倒的に女性が多い。女性特有の視点での発言もあるものの、それも僕には多くの示唆を与えてくれて嬉しい。ただ、最近は、特にここ数週間は異常な忙しさであり、返事を送信できないことが心苦しい。もっと落ち着いた時間が欲しい。
 いささか疲れ気味である。

平成15年7月25日

 本日付の産経新聞に興味深いコラムがあった。最近は子供たちに与えられるおとぎばなしも平和愛好ふうに改竄されており、たとえば「カチカチ山」にしてもタヌキはおばあさんを殺してババア汁などにしないし、ウサギもタヌキの背中を焼いたり、泥舟に乗せて沈めたりしない。すべて話し合いで丸くおさまるように改められていると言うのだ。そんな馬鹿なとの思いから富山市立図書館に出向き、早速調べてきた。結論はコラムの記載とおりであった。
 司書に協力してもらって全部で9種類のカチカチ山の絵本を見てきた。もちろん僕の記憶の中にあるストーリー、つまりお婆さんはタヌキに殺され食べられてしまい、タヌキは背中を焼かれたうえに泥船で水死するという内容のものもあるのだけれど、お婆さんは殺されずタヌキは改心して謝り、その後はみんな仲良く暮らしました、シャンシャン、というストーリーのものが数種類あったのだ。
 おとぎばなしというものは勧善懲悪や人間の知恵を教え、荒野を1人で生きていけるような強い生への意志というものを植えつけたり、人間の残酷さや狡猾さを教えることで人間の本質を学ばせる一面があるものだと思う。しかるに非武装中立思想のような平和ボケした綿アメおとぎばなしばかりを子供に見せていて良いのだろうか。産経新聞のコラムは「日本の戦後教育は偽善から出発した。渋谷で下着を売るような少女たちの親はそういう偽善に育てられた世代である。」と結ばれている。まったくそのとおりだと思う。最近のおとぎばなしこそ偽善に満ちているのである。生煮えナマコのようなものばかりを子供に与えていてはいけないのだ。時代が確実にそれを要請している。社会の裏表をしっかり教えなくてはなるまい。

平成15年7月14日

 また忌まわしい事件が起きた。長崎の中学一年生による幼児殺人事件である。亡くなった幼児のあどけない映像に触れるたびに心が痛む。両親の心中は察して余りある。ただ犠牲者の冥福を祈るのみだ。
 こういった事件が起きると必ず加害少年の背景や心理状態を強調する評論家が登場する。そして刑罰だけでは少年犯罪の解決にならないと主張し、暖かく包み込んでやることが大切だと言うのだ。もちろん複雑な問題であり、厳罰主義だけでは解決しないものである。他方、社会の病理現象だと言っているだけでは再発防止にならないのも事実である。事件の全体像をつぶさに検証して予兆がなかったのかどうか、あったとしたら何故それに対応できなかったのかといったことを追及していくべきであろう。全体像の検証の際に少年法が障害になるとしたら問題であり、真相を明らかにすることが優先されるべきではなかろうか。

 話しはかわるが、刑法上14才未満の者については責任能力がないとされていることについて子供の頃の記憶がある。中学一年生の時に三島由紀夫の「午後の曳航」(記憶が不確かではあるが)という小説を読んで僕は初めて14才未満のものは犯罪を犯しても罪に問われないことを知った。何故そういうふうに規定されているかは理解していなかったが、チョットした衝撃であった。そして14才の誕生日の朝に「今日からは罪に問われることになるのだな。」と強く思った。その日の記憶は今も鮮明である。だからどうだという事ではないが、今回の事件の報道を見ていてよみがえった記憶である。

平成15年7月4日

7月は中央省庁に対する陳情・要望が集中する月である。次年度の予算編成に向けて各省庁から財務省に対する概算要求がまとまるのが8月の末に予定されていることから各省庁の原案がまとまる直前に陳情合戦ということになる構図である。地方分権時代と言いながらこの部分は相変わらずなのである。 
 「三位一体の改革」と言っても、どの役所にしても自らの手にある予算や権限は手放したくないのであるから簡単には進まない。総理が大なたを振るわなければならないのだが、結果的には地方に負担転嫁するだけだということになるのではないのだろうか。税源移譲をしても都会だけが潤うということになりかねないノダ。
 昨日から霞ヶ関の中を走り回って来たが、財務省の主計局の部屋の雰囲気などは何も変わってはいない。
 自立しうる自治体を目指すと口では言っても、言うは易く行うは難しであるが、あきらめずに市の行財政改革を進めるしかないのだ。
 (皆さん競輪に行ってください。貴重な自主財源です。)
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