平成22年12月21日

 富山県が総合計画を作り変えることになり、12月14日に第1回目の総合計画審議会総合部会の会議が開催された。
 現在の総合計画は平成19年4月に策定されており、平成27年頃までを計画期間としたものでありながら、なぜ3年経過時にあらためて計画を策定しなおす必要があるのか良く分からない。経済状況が大きく変化していることや政権交代があったことが理由にあげられているが、根拠としてはいささか希薄だと感じる。仮に環境の変化が大きいとしても現行計画の修正や、あるいはローリングをかけるという方法もあるのではないのか。県の総合計画は過去にもそうやって修正されている。
 まあ、しかし県当局の政策的な判断であり、未来に向かっての1つのアプローチの仕方ではあるので中身の充実した新しい視点や発想に立った総合計画が仕上がることを期待したい。
 そうは申せ注文が1つある。現行総合計画は平成17年から19年にかけて多くの関係者の議論や検討の上で策定されたことを忘れてはならないということだ。課題別研究会の委員が95名。審議会の委員や専門委員について言えば全部で83名もの有識者がかかわっていた。例えば東京など県外から会議に参加した委員も多い。そうでありながら策定後わずか3年半にして計画を作り直すとしたら、少なくとも現行計画の策定に努力された方々に対して礼の失することのない配慮が必要だと思う。そして今度は10年程度の期間に耐えうる計画となることを期待したい。
 
 さて、富山県総合計画と言えばチョットした思い出がある。現行計画の一つ前の計画は富山県民新世紀計画というネーミングであった。平成13年4月に策定されている。この策定にあたり、当時の自由民主党県議会議員会から政策提言がなされている。そのころその提言のとりまとめにあたらせてもらったことが思い出であり、かつその提言集に表題をつけるにあたり、僕がネーミングをさせてもらったことも記憶している。そのタイトルが「元気とやまの創造」というものである。策定された富山県民新世紀計画のサブタイトルが「水と緑といのちが輝く 元気とやま」であったが、少しは僕のアイデアが生かされたかと思い嬉しかった。その後に策定された現行計画のタイトルは「元気とやま創造計画」であることは周知のとおり。まったくそのままじゃないか。まさか僕のネーミングが踏襲されたとは思わないが、偶然の産物と言えよう。同じような認識に立つと発想も似てくるということの一例。

平成22年12月15日

 さすがに冬ざれてきた。昨夜はあられが降ったし今朝はみぞれだったように思う。天気予報が言うようにそろそろ雪になるのかな。季節は裏切らないということか。
 昨夜は韓国から市内に留学している学生たちと楽しく食事をした。20年くらい前は富山大学に来ている韓国人学生としょっちゅう食事会をしたものだ。当時は僕がかなり真剣に韓国語の勉強をしていた頃で、ご馳走するかわりに日本語の使用禁止だと言ってよく飲んだ。韓国語の勉強にもなったが歴史認識の違いにも気付かされた。そのお陰でわが国の近代史について様々な本を手にすることになったのだが、良い経験であった。しばしば議論もした。僕が反論すると涙を出しながら悔しがった若者たちを忘れない。そういったことが血肉となり今日の友情や交流につながっているのだ。昨夜の若者たちも好青年ばかり。徴兵制についての彼らの議論を聞いていて勉強にもなった。男女間に意見の相違があるだけでなく、既に軍隊経験の終えたものとそうでないものと間の国家観や北朝鮮との間の緊張感についての認識に大きな違いがあることに気付かされた。日本の若者との差は言うまでもない。わが国の平和ボケが案じられる。

 ところで、その楽しい飲み会の店の隣のテーブルで飲んでいた日本人グループのバカ騒ぎには驚かされた。40代後半から50代のオジサンとオバサンたち…、いや紳士、淑女であった。最初から声の大きい人たちではあった。「まあ、12月だからねェ、酒飲みの素人みたいな人も飲みに出るから。」などと鷹揚に見ていたのだが、その咆哮ぶりがどんどんエスカレートしていく。一般的にソウル市内の市場内の飲食店では大声で騒ぎながら飲んでいる客が多い。そんなこともあって「まるで南大門市場みたいだね。」などと言いながら笑っていた韓国人留学生の顔が少しづつ曇っていき、やがては嫌悪感を帯びてきたのが分かった。僕自身も本当に不快であった。1人の女性と目が会ったので「お互い様だけど、もう少し静かに楽しみましょうよ。」と声をかけた。彼女は理解したようだったが、連れに注意する風はなかった。その後も彼らは騒ぎ続ける。他意はないが、特に女性が大声を出す。やがて堪忍袋の緒が切れた僕は、最初は穏やかに、しかし最後は強い口調で注意をした。まるで子供みたいな連中であった。
 かつてはこういう場合に、知らない人に対してもよく注意したものだ。しかし最近はこちらが齢を重ねて丸くなったということもあり、また市長という立場から自制していたということもあり、公の空間で誰かに注意するということはあまりなかった。久し振りの出来事である。異国から学びに来ている若者の手前、あまりにもみっともない日本人の姿にブチ切れたという次第。おそらく彼らのグループは大声で騒ぎながら飲むことが重大なマナー違反だと認識していないのだと思う。情けないことだ。日本人が劣化していることの典型例である。
 まあ僕も儒教の国の若者たちの手前を意識しすぎて我慢が足りなかったとも言える。大人気なかったと反省もしている。12月14日の夜8時頃から10時頃にかけて「じん人」というお店で楽しく賑やかに飲み会をなさっていた皆さん、ご苦労様でした。大人気ない振る舞いをお詫びします。これからも天井をぶち抜くほどの元気さでお楽しみになることをご期待します。いつまでもお元気で。

 僕は先に帰ったのだが、帰り際に若者たちに告げておいた。「みっともない日本人を話題にするのなら韓国語で会話をするようにね。」と。
 韓国語で会話する日本語が堪能な若者たちの隣で、先に帰った者の悪口を言っている隣のグループの様子が目に浮かぶ。
 それを楽しんでいる僕が一番タチが悪いかな。へへへ…。

(前言撤回。数ヶ月前に東京の某ホテルで大声で騒いでいる中国人グループがあまりにうるさくて注意したことを思い出しました。人類みな兄弟。) 

平成22年12月5日

 娘から面白い本をもらった。「My Birthday Book」というタイトルの30ページ程しかないちっぽけなお遊び本である。誕生日ごとに性格や運勢、相性などを解説している内容である。365日の1日1日に対応して小さな本が出版されている訳で、365種類あるということになる。いやうるう年にも対応しているとすると366種類あるのかな?
 いずれにしても、僕の誕生日は8月13日なので僕がもらった本のサブタイトルはAugust 13というもの。つまり8月13日生まれの人の性格はこういうもので運勢はこんな感じですよ、という具合に綴られている次第。
 それによると、僕の性格は次のようになっている。
 「正攻法で目標に取り組み、フェアでエネルギッシュ、向こう気が強く誰に対しても物おじせず、自己表現が得意で、スピーチやプレゼンテーションは積極的、いつも活動的で前向き、仕事でもプライベートでも集中して取り組めばどんどん輝ける」人だとされている。運勢としては「趣味か仕事、どちらの世界でも名をはせる」うえに「すごい転職や転身をはかりみんなを驚かせ」、「苦労さえも楽しみに変え第二の人生を歩むことになる」らしい。恋愛運のところでは「結婚していても恋をしていたいと願い」、「アプローチするときはとても積極的」で、「友達の恋人に思いを寄せてしまう可能性もある」という危険な性格であるらしい。家族観としては小さいときから「わがままを案外聞いてもらっていた」せいで、「家族に対して遠慮はしない」性格。しかし「家族はできる限り力になってくれる」らしい。友情運としては「誰とでもすんなり友達になれる」のだが、「毒舌なところもあり」「悪気はないのだが何気ない一言が人に打撃をあたえることがある」という困ったところがあるものの「面倒見がいいので、みんなに頼られる」とされている。
 面白かったので周りの何人かに見せたところ、僕の性格そのままだという評価が多かったけれど…、僕の性格ってこんな感じ?自分じゃチョット違うんだけどなあと思っている。
 もしもこの本の指摘が的中しているとしたら、興味が大きくなるのが次の部分である。8月13日生まれの異性との相性の部分である。
 僕と恋人運が特に強い相性の人は、4月6日、8月11日、8月20日、11月26日、12月7日生まれの人だというのである。密かに心の中で記憶を呼び覚ましてみるものの上記の誕生日の女性と出会った記憶がない。ということは…。これから何かが始まる可能性があるということか。いやあ、素晴らしい本である。娘に感謝しなくちゃね。

平成22年12月1日

 いよいよ師走に入った。今年もあと1ヵ月。明日からは12月議会が始まる。きっと、あっという間の一ヶ月なんだろうなあ。今年の年末は温泉に3泊する予定なのだが、それを楽しみに年末まで全力で頑張ろう。今年はどんな年だったかなんて考えるのは温泉の湯船でゆっくりと…。
 さて、今日は最高の小春日和だった。暖かく穏やかな師走入りで気持ちがいい。にもかかわらず元気が出ない。やっぱり疲れがたまっているんだろうなあ。11月はいくらなんでも出張が多すぎたと思う。色んなところから講演などで呼んでもらうのは大歓迎だし、富山の認知度を高めることになるのだから出来る限り対応したいと思っているものの…。いくらなんでもハードすぎたかなあ。
 日程を遡ってみようか。思えば10月末の1泊3日のローマ出張からハードスケジュールが始まっている。10月27日から29日、イタリア製薬業界との交流会に参加。一人旅の出張は楽しかったけどローマ滞在20時間はないよねえ。
 11月に入り、2日、関経連に要望活動で大阪日帰り。4日、5日と秋田市と横手市に出張。久し振りに佐竹秋田知事に会って談笑。秋田市長時代と変わらない相変わらずの人柄が懐かしい。6日は京都大学で講演。京都大学での講演は何回かこなしたが、今回は高校時代に同級だった女性の教授が司会役で面白かった。8日は片山総務大臣との意見交換会に緊急招集される。15日夜は国土交通省にて交通基本法案検討委員会。多くの旧知の教授達に会えて良かったと思う。久し振りに国交省の審議会にかかわれることが嬉しい。17、18日の両日、全国市長会理事・評議員会。夕刻から総理官邸他に要望活動。(17日夜は富山市出身東京在住者の親睦組織である市友会総会に出席。)24日は四日市市自治会連合会にて講演。夕方に四日市市長ならびに市の幹部と懇談。名古屋に移動して、栄のギャラリーで展覧会中の富山市在住の女流陶芸作家を激励。25日早朝名古屋を発して大分に向かい、大分経済同友会にて講演。大分市滞在時間2時間。その間に1時間半の講演、質問時間も設けず走るように大分駅に急いで、何とか同日中に帰宅。29日には苫小牧商工会議所にて講演。深夜に東京に移動。30日、国土交通省にて交通文化賞授賞式に出席。同日午後フラフラになりながら庁内にて仕事。出張が続くと大量の決済書類が執務室に待っている。もちろん出張中であっても電話などで市役所とやり取りはしているのだけれども、最後はやっぱりハンコ社会なんだなあ…。
 秘書課で整理してくれた数字を見て驚いた。10月と11月の2カ月間における出張回数15回。延べ出張日数27日、講演8回。やっぱりハード過ぎるよねえ。 通常業務に支障が出ないように対応することは当然だし、その点のやりくりは出来ていると思う。問題は、忙しすぎてじっくりと考える時間が取れているのかということだ。
 外に出て講演活動などをすることは、庁内だけで仕事をしていることと比べれは比較のしようがないほど多様な情報に触れることが出来、幅広い人脈を作ることが出来ると思う。何よりも富山市を発信する効果は大きい。そうは申せ、深く考える時間を確保する方を優先するべきではないのか。そんな思いにとらわれている…。さすがに今月は出張の予定が少ないので、静かに考える師走にしたいものだ。
 (いつもよりもバタバタと走るとされる12月にそんなことが出来るとは思えないけどね。)
 
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