何となく気忙しくなってきた。あと20日で今年も終わり。あっという間に過ぎていくなあ。先日来自宅内の不要物を捨てて空いた空間を有効に使おうという断捨離大作戦が進行中なのだが、年末までにもう少し進行させたいと思う。思い切って捨てるだけのことなのだけれども…。頑張らなくちゃ。
さて、最近気になることをチョットだけ愚痴ってみたい。 僕は以前からコンビニでの支払いに際してエディなどの電子マネーを使っている。半年ほど前からはスーパーやドラッグストアーの支払いに際してクレジットカードも使うようになってきた。現金で支払いをした時に受け取ることになるお釣りの小銭を避けたいからである。カードで支払うと買い物前も買い物後も、ポケットにはカードしか存在しないので都合が良いということだ。 そしてカードで支払うことの狙いがもう一つある。それがここ数年ずっと気になっている、「何か変だよ最近の日本社会」の一つの現象に関係している。それはお釣りをもらう時に相手がお札を数えながら確認を取るという嫌な作業に立ち会うことになるという現象だ。例えば一万円札で支払いをしてお釣りが6千450円だったとすると、「はい、それじゃまず大きい方から5千円札、次に1000円札が1枚、そして残りの小銭です。」みたいな感じで、多くのお店でお嬢さんもおばさんも同じような対応でお釣りを渡してくれるのだ。僕はそれが嫌で嫌でしようがない。日本社会はそんなお釣りの受け渡しに間違いがないという前提で構築されているし、実際にほとんど間違いが発生しないのである。だから多くの人は渡されたお釣りを確認もしないで財布に入れていたのだと思う。それほどに正確で信頼できる社会だったのである。財布をどこかで忘れてもちゃんと持ち主に返るという社会なのだから、つり銭の一部を抜くなとどという輩はいなかったのだ。その結果、わが国におけるつり銭の清算作業はスマートで品が良かったのだと思う。それがここ数年、おそらくどこかのコンビニやスーパーにおける作業マニュアルの中に、先述のようなお客様の面前でつり銭を確認する方式が導入されたに違いない。それがあっという間に全国の現金支払い現場に普及していったのだと思う。今や僕が抗ったとしても、一顧だにされないのだ。レストランで支払いをするときにテーブルに座ったまま請求書を貰い、その席で支払いをし、トレイにお釣りと領収書が入って返される。その時にトレイの中のお札を数えながら渡されるとしたら野暮というものだろう。もう愚痴ってもしようが無いことはわきまえている。どうしようもないことは分かっている。それでも僕は子供のような歳の若者から「あなた、ちゃんと見ててね、今からお釣りを確認するからね。はい、分かる。先ず5,000円ね、そして1,000円札が1枚ね。あとは小銭よ。そちらも数える?」みたいな調子でお釣りを返されるのが耐えられないのだ。思わず、「そんなことをしなくていいから早く渡せ!」という趣旨のことをやさしく言いながらお釣りをポケットに押し込むことになるのだ。それが嫌なあまり、スーパーでの買い物の支払いをカードですることとしたのである。お釣りの小銭を貰いたくないという理由よりも、目の前でお釣りを数えられるという馬鹿馬鹿しい瞬間に立ち会いたくないからなのである。いい加減にしろよ!このマニュアル社会!と言いたいのである。もっともそんなことを誰も気にしていないのだろうなあ。僕がひとりで取り残されていくということか。しようがないけど、僕は僕の流儀で生きて行くのだ。
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