平成30年2月28日

 10日ほど前にマレーシアのコタ・キナバル市に行ってきた。マレーシアと言ってもマレー半島ではなく北ボルネオのサバ州というところにある市である。初めてボルネオ島(今はカリマンタンと言うんだったっけ)に行ったので着陸前から目を皿のようにして窓越しの風景に見入っていた。標高が4000メートルを超すキナバル山の麓にある街、それがコタ・キナバルという市の名前の意味だと教えられた。幸いにもキナバル山の雄大な姿をしっかりと目にすることができて良かった。
 今回の訪問はコタ・キナバル市からの要請に応えて、グリーンエネルギー対応など環境政策の領域において富山市とコタ・キナバル市との間の協力協定を締結するためのものであった。MOU(協力のための覚書き)を交わしたからには積極的に協力していきたいと思う。もちろん結果として富山の企業のビジネスチャンスにつなげることが狙いである。
 さて、今回の訪問の初日に面白い出来事があったので紹介したい。到着した日の夕刻にコタ・キナバル市長からディナー・クルーズに招かれた。市長夫妻と関係者、そして僕ら富山からのメンバーが親しくテーブルを囲み夕食を摂りながら会話や音楽を楽しんでいた。船はチャーターではなかったので多くのお客で賑やかであった。ところがそのうちに後方で大声で叫ぶ者が出てきた。大声で船のスタッフに対してクレームをつけていたのだ。驚くことに皿が割れる音までもが響いた。船内は一気に緊張感が高まり、市長夫妻も僕の面前で困惑していた。耳を傾けるとクレーマーの話している言葉が韓国語であることに気付いた。とっさにここは僕の出番かなと思ったので市長の了解を得たうえでそのクレーマーに韓国語で話しかけてみた。非常に興奮していた彼はクレームを英語で言うことができず、一方、船のスタッフに韓国語ができる人がいないという状況だったので大声で騒ぐだけで両者の会話が成立していなかった。最初は僕に対しても威圧的に大声を上げていたクレーマーも拙い僕の韓国語に反応をしてくれるようになった。そこで僕が「ピョンチャン・オリンピックの成功、おめでとう」と言うと、興奮しながらもうっすらと嬉しそうな感じが見て取れた。やがてクレームの内容を理解することができ、クルーズ船の責任者につなぐことができた。彼の苦情は、数か月前から予約していたのに家族8人のテーブルかバラバラなのは納得できないというものだった。彼らは一家意識の強い文化の持ち主なのである。一方、クルーズ船側は離れているとはいえ2つのテーブルで全員の席を用意してあるでしょ、という立場であった。
 その時にクルーズ船に併走している小型船がいたことに気付いた僕は、その船を彼らのグループのために使うことを提案し了解を得た。その船に料理やアルコールを運び入れ、彼らのグループだけで楽しんではどうかと提案した。飲食はすべて無料にするという提案も付加すると彼らは大いに喜び、直ぐにその船に移動してくれた。クルーズ船の中は落ち着きを取り戻し元の明るく楽しい雰囲気を醸し出していった。おかげで市長夫妻と船の関係者から大変に感謝されることとなった。僕自身も30年近く前に勉強した韓国語がこんな形て役に立ったことが嬉しかった。もっとも、韓国人グループの勘違いに助けられた面もあるのだ。飲食を無料にすると思わせぶりに言ったが、もともとバイキング形式のクルーズに前払いで予約しているのだから当然のことなのだけれども、彼らはそれを忘れて大いに喜んでくれたのであった。
 市長夫妻と僕はクルーズが終った後、最後に下船したのだが、韓国人のグループは僕らを待っていて、何度も感謝の言葉を述べてくれた。何とか役に立てたことをほんの少しだけ自慢したくてこの稿になっている。皿を割るくらいに興奮している韓国のオヤジの肩に手を掛けてなだめながら話しかけたことは、今思うとちょっと向こう見ずであったかもしれないなあ。僕にしてみると記憶に残るちょっとした武勇伝になった。
 翌日のMOUの締結式の挨拶でコタ・キナバル市長がオフィシャルなスピーチであるにもかかわらずこのエピソードについて触れ、感謝を口にしてくれたことは予想外であり驚いた。
 これからのコタ・キナバル市との交流が深まり実のあるものとなることを期待したい。


平成30年2月1日

 先週長崎に行く用向きがあり久しぶりに出かけた。その際、少しばかり時間があったので亡き伊藤一長前長崎市長の墓に行き墓前に手を合わせてきた。ご存じない方が多いと思うし、この稿によって久しぶりに思い出したという方も多いと思うが、僕にとってはかねてからの宿題とでも言うべき墓参であった。手を合わせながら生前の面影をしのび、交誼を結ばせていただいたことにお礼を申し上げた。
 伊藤一長氏は現職長崎市長として自らの選挙の運動をしている最中に背中に二発の銃弾を浴びて死亡したのである。2007年4月17日に撃たれ、手当ての甲斐もなく翌18日の早朝に亡くなったのだ。現職の市長が暗殺されたのである。明治22年に市制がしかれて以来、現職市長が暗殺されるという事件は後にも先にもこの事件しかない。(1990年に同じ長崎市において本島市長が在職中に撃たれるという事件があったが幸い命は助かっている。)
 伊藤市長は僕より年長であり市長としても先輩であったが、親しく交誼いただいた。お互いに夫婦連れで会食したこともある。なによりも全国市長会や中核市市長会において同志の一人として活動を共にしていた。彼の選挙が終わったら6月に開催予定の全国市長会総会において全国市長会長に立候補する予定で運動もしていたのだが…。突然の凶弾に倒れてしまったのだ。僕は亡き妻とともに長崎市での葬儀に参列もした。思い出の人なのである。
 さすがに墓参することまでは思いが至らなかったのだが、伊集院静さんのエッセイの中に伊藤一長さんの墓の記述を見つけて以来いつかは訪ねてみたいと思い続けていた。それがやっと実現したという次第。大変に立派なお墓である。墓石には南無阿弥陀仏などの表記は無く、「いとう一長」と「初心生涯」という文字が彫られていた。そして果物や生花がたくさん供えられていた。一角には名刺入れが備えられていて広い駐車スペースまであるのだから時折いろいろな人が墓参されているのだと推測された。なによりも墓石も敷地もきれいに手が入り管理されている。誰かがしっかりと見守っているのだろうと思った。そして墓が正対しているのが光り輝く群青の海なのだ。しばらくの間たたずんでいたいと思った。
 伊藤一長さんの冥福を心から祈る。合掌。合掌。(奥様はどうしていらっしゃるのだろうか。)
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