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	<title>愛のかたち &#8211; 森雅志</title>
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		<title>きみに読む物語</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 04 Sep 2020 23:30:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　現在、父はある病院に入院している。過日、元気にしているだろうかと気にしながら病室に赴いた。入り口で検温などの手続きを済ませて病室に行ってみると、ベッドががら空きであった。近くにいた看護師の方に「リハビリにでも行っているのですか？」と尋ねると、優しく笑いながら「違います。」と答えてくれた。すると他の看護師の人も寄ってきて、同じように、優しく、かつ楽しげに笑っている。僕が訝しげにしていると、併設されている老人保健施設に入所している母に会いに行っていると教えてくれた。実は病院に父が入院していて、併設の施設に母が入所しているという状況なのである。聞けば、毎週月曜日の午後3時に、まだ要介護認定を受けていない96歳の父が病院のスタッフに同行してもらいながら、認知症の92歳の母のところに楽しげに通っているのだと言う。もっとも母は、前の週に父と会っていたことをすっかり忘れていて、毎週、久しぶりに会ったと嬉しげにしているとか。それでも父は毎週楽しみにして会いに行っているらしい。このことを知らされた僕は少しばかり感動してしまった。こんな幸せな夫婦はめったにいないだろう。96歳と92歳でありながら、週に一度のデートができるなんて。前週に会ったことは忘れていても、お互いのことは分かっているのだから、家族のことや昔の思い出話は普通にできる。その程度の認知症なのだから、デートは楽しいものに違いない。70数年夫婦を続けてきたのだから、何も話さなくても分かり合えているのだろうけれども、週一の逢瀬を楽しめるのだから本当に幸せな老夫婦だと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そんなことを思っていると、大好きな作品の一つである映画を思い出した。ニコラス・スパークスのベストセラー小説を原作として製作された「きみに読む物語」である。詳細な説明は省くけれど、長い間寄り添った夫婦の一生の物語で、年老いて認知症を患い施設に入所している妻に何とか二人の日々を思い出させようとして、夫も同じ施設に入り、毎日のように本を読み聞かせる時間を設けて、二人の若い頃からの日々を小説を読むようにして語り続けるというストーリーである。わが父に小説風に語りかける術はないけれど、来し方のあれこれや、子どもたちのこと、孫やひ孫のこと、梨畑のことなどを語り合っているに違いない。二人の週一デートが長く続くことを願うばかりである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　これから、高砂人形や翁媼人形のように超長寿のカップルが増えていくことだろう。「お前百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」が現実になってきているのだ。ところが、片方が要介護認定を受けていて、もう片方は認定を受けていないという場合に、一緒に入所しようとすると、「住宅型有料老人ホーム」か「サービス付き高齢者向け住宅」とかが考えられる。この場合、居宅介護サービスを受けることとなり、施設介護サービス水準という訳にはいかない。一方、片方が介護認定を受けて入所している施設に、要介護状態ではないパートナーが同居することは現状の制度では困難なのである。しかしながら、介護程度の差を超えて一緒にいたいと望む人は増えてくると思う。もちろん自己負担は大きくなるけれども、我が両親のようなカップルが一緒に入所できる施設介護サービスということを考える時代が来ているのかもしれない。難しい課題である。</p>
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		<title>再びの『巣立ちの春』</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 04 Apr 2020 23:30:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[家族・暮らし]]></category>
		<category><![CDATA[思い出]]></category>
		<category><![CDATA[愛のかたち]]></category>
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					<description><![CDATA[　4月を迎え、また巣立ちの春がやってくる。この季節に、新しい生活に向けて希望を膨らませている若者の姿を見るのが大好きだ。春の光景だ。春はいいなあという思いを抱きながら今年も新年度を迎えることとなる。 　新年度に入れば僕の [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　4月を迎え、また巣立ちの春がやってくる。この季節に、新しい生活に向けて希望を膨らませている若者の姿を見るのが大好きだ。春の光景だ。春はいいなあという思いを抱きながら今年も新年度を迎えることとなる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　新年度に入れば僕の残りの任期は12カ月。広報にエッセイを書く機会もあと12回しかない。そう思うと、懐かしさに動かされ過去のエッセイを読み直してみた。そして、自分の書いた原稿でありながら昔は今よりチョットだけ良い文章を書いていたものだと驚かされてしまった。横着ではあるけれど、過去のエッセイを再掲させていただくことをお許し願いたい。決して手を抜こうとしている訳ではなく、今の僕の心境そのままのエッセイなのでもう一度読んで欲しいという思いからです。何卒、ご理解願います。</p>



<p class="wp-block-paragraph" style="text-align:center">『巣立ちの春』</p>



<p class="wp-block-paragraph">　僕が執務室でコーヒーを飲むときに決まって使う陶器のコーヒーカップがある。もう長い間このカップを使ってきているので内側の部分や持ち手の辺りが黒ずんでしまっている。実は僕の持ち物や身の回りの品の中でこのカップの愛用期間が一番長い。昭和46年の4月に買ったものなのだから、もう36年間も使っているということだ。良くぞ毀れずに使用に耐えてきたものだ。褒めてやりたいくらいである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そのうえに僕はこのカップを購入した日も場所もチャンと覚えているのだ。4月3日、世田谷区の小田急線・経堂駅前の小さな雑貨屋で買ったのである。なぜそんな昔のことなのに覚えているのか。それはその日が大学に入学し東京で暮らし始めた最初の日だったからである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　東京の大学に進学することを決めたものの、東京は不案内のうえ親戚もないことから父の戦友を頼ってまかない付きの下宿を探してもらったのであった。それが経堂駅から徒歩15分という下宿屋だったのである。いよいよ4月に入り、東京での一人暮らしを始めるべく上京し、四畳半の生活に必要な品物を調達した中にそのコーヒーカップが含まれていたという次第である。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　僕には姉がいるが彼女は高校を出て富山で勤めていたので、僕が家を出て東京で一人暮らしを始めることは家族にとって大事件であったに違いない。そのせいもあって初めて下宿に入るというその日は父親が一緒に上京してくれた。父は下宿のおばさんに挨拶をし、僕の部屋を確認し、部屋を探してくれた戦友を訪ねたうえでその日のうちに帰って行ったと記憶している。あまり多くを語らず、ただ「頑張れよ」と言って上野駅へ向かった父であったが、その胸中を去来したものは大きかったに違いない。息子の巣立ちに対する喜びと期待、親としてのチョットした満足感、そしてかすかな不安と寂しさなどであったのだろうか。その時はそこから始まる新生活にばかり気持ちが向かっていてそんな親の気持ちに気付かない僕であったが、この歳になるとその時の父の思いが良く分かる。親とは本当に有り難いものだと思う。その親の思いや東京での多くの記憶を手元のコーヒーカップが時々思い出させてくれるのだ。その意味では大切な宝物なのである。　</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そしてまた4月がめぐって来た。巣立ちの季節である。あの日の僕のようにあふれる希望を胸いっぱいに抱いて新生活に入る若者が沢山いる。彼らの青春の日々が充実したものであることを願おう。一方、あの日の僕の父のように、成長していく子どもを送り出しながら期待と同時に寂しさを感じている親も多いことだろう。その親御さんたちにもエールを送りたい。しかし何よりも、巣立っていく若者たちが温かく見守っている親の思いをきちんと受け止めてくれることを願わずにいられない。親とは本当に有り難いものだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">（No.23 平成19年4月5日号掲載）</p>
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