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	<title>政治・政策 &#8211; 森雅志</title>
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	<description>森のひとりごと</description>
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		<title>キーワードの効果は？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 04 Jan 2021 23:30:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　僕は旧富山市の市長に就任以来、毎年の執務初め式においてその年のキーワードを披露してきた。年初にあたり、自分自身の心の芯棒を確認するという意味と、職員に対して仕事に取り組む際のヒントとしてほしいという思いを込めてのキーワ [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　僕は旧富山市の市長に就任以来、毎年の執務初め式においてその年のキーワードを披露してきた。年初にあたり、自分自身の心の芯棒を確認するという意味と、職員に対して仕事に取り組む際のヒントとしてほしいという思いを込めてのキーワードなのである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　市長に就任したのが平成14年1月26日なので、最初の執務初め式は平成15年ということになり、令和2年まで合計18回の式で18のキーワードを発表してきたことになる。令和3年4月に退任するというこの機会に振り返ってみることとしたい。紙面の都合上、すべてを紹介することができないけれど、いくつかを拾って言葉に込めた思いをおさらいしてみたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　まずは平成15年、「シンク・ビッグ」、「スピード」というもの。文字通りに大きく大胆に考えてスピード感を持って働こうという意味。平成17年のものはユニーク。「他とは違っているか」、「新しい刺激に満ちているか」、「時の試練に耐えうるか」というもの。知り合いの会社で見かけて気に入り使わせてもらった。自分としては気に入っている。平成21年は「ネクスト・ステージ」。一段落しそうになった時にはもう次のステージの準備ができていなくてはならない。この頃からこのワードを使い始めたのだな。平成24年のものは「イマジネーション」。社会がどのように変化するのかを予測し一歩先を読む力が大切だと言いたかったのだが失敗作だったと感じている。平成25年は「機は熟すると言うが、そのことを待っていると腐敗する」。機が熟するのを待つという姿勢よりも、機を自ら作り出す姿勢が肝要だという意味。重い言葉だと思う。平成29年は「Go
Bold(大胆に行こう)&nbsp; Go Beyond(遠くを見据えて超えていく)」。将来を見据えて、縮こまることなく大胆に思い切り職務に取り組み自身の既成概念を超えていこうという思い。平成30年のものは「音叉の共鳴、そして共鳴の連鎖」というもの。組織が同じ意識や理解を共有することができれば音叉のように共鳴できると言いたかったのだが、誰もこのキーワードには共鳴してくれなかった。そして令和2年、「新・とやま新時代」というものを掲げた。路面電車の南北接続後の新しい時代の創造に向けて大胆な発想と行動力を持って頑張ろうと訴えたのだが、まさかコロナ禍という新時代になるとはね…。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　この19年の間に富山市役所という組織は確実に変化してきたと思う。それがキーワードの効果だとは言わないけれど、時代の変化を見据えて自らを変えていこうとする姿勢は広がったと確信している。もとより、大きな組織、集団なのだからいろいろな個性の集合体だ。中には僕の呼びかけに反発した人もいるだろう。逆の意見の人もいただろう。無視した人もいるだろう。でも共感してくれた人もいたに違いない。そんな人が一人でもいてくれたとしたら満足だ。おかしなキーワードに付き合ってくれた職員に感謝したい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　さて、アメリカには「ハネムーン期間」という言葉がある。何かの運動のキーワードとは違うけれど、1月20日にバイデン新大統領の任期が始まるというタイミングなので本稿で紹介したい。「ハネムーン期間」とは政権交代後の最初の100日間のことを指す。アメリカでは報道機関も野党も、この100日間は新政権に対する批判や性急な評価を避けるという紳士協定がある。良い文化だと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　僕の任期はあと100日余りとなった。集中して仕事に邁進したいと思っている。「ハネムーン期間」の逆の時期、最後の100日間にあたることから、暖かく支援していただきたい。(はたしてハネムーンの対義語は何て言うのだろうか？)</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ところで、今年のキーワードは？</p>



<p class="wp-block-paragraph"> 「立つ鳥跡を濁さず」とでもしますかな。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>雑学 トイレ考</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 04 Aug 2020 23:30:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　今日は7月14日。おー、今日はパリ祭か！などと思っているところに秘書課長からメールが届いた。曰く、「広報のほっと・エッセイの原稿の締め切りは明日です」と。メールを見た瞬間に、頭の中が大混乱状態になった。締め切りまでにも [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　今日は7月14日。おー、今日はパリ祭か！などと思っているところに秘書課長からメールが届いた。曰く、「広報のほっと・エッセイの原稿の締め切りは明日です」と。メールを見た瞬間に、頭の中が大混乱状態になった。締め切りまでにもう少し日があるものと勝手に考えていたので、何の準備もアイデアも無く、うろたえてしまった。仕方がないので、また雑学シリーズでお茶を濁すこととしたい。ご寛恕いただきたい。　</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ずいぶん前のことだが、トイレの呼び方はなぜこんなに多いのかと気になり調べてみたことがある。（清水義範さんの「日本語必笑講座」では楽しく学ばせてもらった。）</p>



<p class="wp-block-paragraph">　理由はもちろん便所とストレートに表現するより婉曲に表現した方がふさわしい状況が多くあるからであろう。そのため「お手洗い」と言ったり「洗面所」と言ったりするのだ。手や顔を洗いたくてそこに行くのではなく、用を足したいのだけれども、ストレートに言うことが恥ずかしいので、そういう表現が多用される。清水さんの著書によれば、そもそもトイレという言葉も同じ成り立ちなのだそうだ。英語でトイレット、フランス語でトワレというのは、洗面とか洗顔という意味であるらしい。また、WCというのはwater closetの略で、水洗便所のことだが、ストレートな表現をしないで、水の小部屋と言っているのだそうだ。ズバリ言うのを避けたいという心理は外国でも同じということだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　柔らかく表現しようとするために、トイレを表す言葉のなんと多いことか。「厠」「雪隠」「ご不浄」「手水」などの言い方が古くからあり、今、日常的に使われているものとしては「洗面所」「手洗い」「化粧室」「レストルーム」などがある。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ところがみんなが例えば「手洗い」を使っていくと、やがてこの言葉が便所を表しているという認識が共有されることとなる。そこでまた新しい表現を見つけたくなるという次第で、結果として便所を表す言葉が増産されるらしい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　昔の表現で面白いものを知った。「閑所」（かんじょ、または、かんぜ）というもので、そこが寂しい場所だからであろう。確かに集団で利用する場所ではないからね（もっとも連れションと言う言葉があるけどね）。50歳で登山を始めた時に、登山では用を足すために登山道を外れるときには「キジを撃ちに行く」と言い、女性の場合は「花を摘みに行く」と言うと教わった。なんともお洒落な言い回しじゃないか。言い換えることを楽しんでいるようでもある。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ところで富山市では現在、市立小・中学校の和式トイレと公園内の和式トイレの洋式化に取り組んでいる。まずは学校の方だが、すでに洋式化の済んでいる学校を除いた小学校62校と中学校23校の計85校について改修事業が進んでいる。中には地元から和式のものを残してほしいという要望が出たケースもあるので、それを控除した残りのすべてを洋式化する。全部で1,584台の改修であり、令和3年3月までに終了する予定だ。次に公園のトイレだが、その大半は設置してから30年以上経過したものであり、大半は和式便所で整備されてきた。そこでこちらも思い切って改修することとした。全部で82公園、229台の便器について令和3年7月までに洋式化を終えることにしている。生活様式の変化に伴い和式便器の使えない子どもや、足腰の弱い高齢者、さらには外国人の定住者や観光客の増加など、学校や公園の利用にも変化がみられる。その変化に一日も早く対応するために、確実に整備を進めたいと思っている。乞うご期待というところです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">（参照・引用：清水義範著「日本語必笑講座」）</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>雑学 二宮尊徳</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 04 Jul 2020 23:30:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[思い出]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　小学４年生の時に、アメリカの大統領であったジョン・F・ケネディが日本人の中で一番関心がある人物として上杉鷹山の名前を挙げたことを知って驚いた。当時の僕は、不明にも上杉鷹山という人の存在を知らなかったからである。何日か図 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　小学４年生の時に、アメリカの大統領であったジョン・F・ケネディが日本人の中で一番関心がある人物として上杉鷹山の名前を挙げたことを知って驚いた。当時の僕は、不明にも上杉鷹山という人の存在を知らなかったからである。何日か図書館に籠もり、上杉鷹山に関する書籍をむさぼり読んだ記憶がある。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　バブル崩壊の後に幾つもの大企業が破綻した時代があったが、そういう事態に接して日本社会が抱える制度疲労や悪弊がいかに深刻であるかということを思わされた。そして上杉鷹山に代表される江戸時代の財政再建の指導者たちに興味を持ち、備中松山藩の再建に取り組んだ山田方谷や、上杉鷹山の師である細井平洲などの伝記ものを乱読した。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その頃に二宮尊徳についても興味を持てば良かったのだろうが、漠然としたイメージだけで二宮尊徳を理解したつもりでいて、改めて調べてみるということをしなかった。ところが最近になって、二宮尊徳の功績を広めるために「二宮金次郎」という映画が製作されていて、全国の公民館などで上映をする運動をしているグループの存在を知り興味を持った。かつては小学校の校門の近くに必ずと言っていいほどに「二宮金次郎」の銅像が設置されていた。薪を背負って読書をしながら歩く少年の姿は、家の手伝いをしながらも学びを怠らない理想の姿として日本中に広められていた。ちなみに現在の富山市内の「二宮金次郎」像の設置状況は、小学校19校、中学校２校に設置されている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　この像のお陰で少年二宮金次郎は多くの人に知られているのだけれども、大人になっての功績を知る人はあまり多くないと思う。本稿では大人の二宮尊徳があげた功績について簡単に述べてみたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　彼は現在の神奈川県小田原市内の村で比較的裕福な農家の長男として生まれた。やがて川の氾濫により一家が所有していた農地の大半が流されるという悲劇に見舞われてしまう。そのうえ両親が失意の中で他界。しかし彼は、荒れた空き地で菜種を育てて収穫したことで小さな努力を積み重ねることが大切だという「積小為大」の考えを体得する。この考えのもと努力を重ね、やがて実家の再興に成功する。その成功を目にした小田原藩は家老服部家の財政再建を依頼する。それを成功させたことにより、さまざまな大名・旗本などから財政再建の依頼が続くこととなっていく。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その頃は大飢饉が続き農村が疲弊しきっていた時代であったが、彼が再建の手ほどきをした村は600カ所以上にのぼったと言われている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　多くの藩や旗本領の侍たちができなかったことを何故彼が成し遂げられたのか。それは勤勉さの勧めだけではなく、彼の優れた経済的な見通しと実行力があったからであろう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　例えば、飢饉の際には年貢の取り立て率を下げるということをやっている。今で言う納税猶予や減免をして離農や離村者を出さないようにしたのである。藩主をはじめとする侍たちが窮乏を我慢することで年貢の総額を抑え、農民の意欲を高め人口増につなげるという発想だ。愛民という封建道徳の論理である。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　また、当時の侍階級は資本を回転して儲ける商人を蔑んでいた。蔑みながらもその商人から借金をするというのが財政危機に陥る一つのパターンであった。そういう状況に対しての彼の功績が「五常講」という講制度である。藩の使用人や武士の生活のためにお金を貸し借りできる仕組みで、今で言う信用組合のようなものだ。資本の回転である。二宮尊徳はその時代の農家でありながら商人的な「資本の論理」を理解していたのだろうなあ。積小為大という「封建道徳の論理」と「資本の論理」を併せ持っていたのであろう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　先に紹介した映画をぜひとも見てみたい。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>新規製造物禁止令</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 04 Jun 2020 23:30:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　徳川家第８代将軍の徳川吉宗の名を知る人は多いと思う。幕府財政の再建を目的とした享保の改革を主導した人であり、中学生の頃に習った日本史では江戸時代における名将軍の一人として教えられた印象がある。米価や物価の安定政策として [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　徳川家第８代将軍の徳川吉宗の名を知る人は多いと思う。幕府財政の再建を目的とした享保の改革を主導した人であり、中学生の頃に習った日本史では江戸時代における名将軍の一人として教えられた印象がある。米価や物価の安定政策としての倹約や増税、目安箱の設置、小石川養生所の開設などを行った人物であると記憶している。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その徳川吉宗が行ったものであまり知られていない事例を２件紹介してみたいと思う。その一つは日本全国の人口調査を行ったことである。1720年を起点として６年ごとの人口調査を命じたのである。この調査は1721年から1864年までの間に25回行われていて、資料として使えそうなものは18回分だけだとされている。なお当時の調査対象には武家やその使用人は含まれていないため、（何故なら課税徴税のための調査だからであろう。）今の時代の人口統計調査とはかけ離れた調査となっている。そういう調査ではあるものの面白い現象を示しているようだ。18回分の調査を通して人口はほとんど変化せず、平均すると約2,615万人となっている。もとより大飢饉があった年次には調査どころではなかったと思われ資料が残されていない。いずれにしても江戸時代後半のわが国は人口を増加させることができずにいたのであった。それが明治維新を迎えるとあっという間に人口増に転じた訳で、面白い現象だと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そのことに大いに関係するのだけれども、吉宗の改革の中でもう一つの特徴的なものを紹介したいと思う。それが1720年に出した新規製造物禁止令というものなのである。吉宗は次のように考えたらしい。「今、世上に売り買うよろずの品物、何一つ備わらぬことなきに、なお多く造り出さば、人々身の程に超えて買い求るようになり、自ら家資窮乏し、国の衰えとなる」と。さらに、例えば高瀬川ができたことで琵琶湖から京への物資の輸送が便利になった半面、牛馬で物資輸送をしていた生業が衰退したことを憂えたのであった。その結果として新田開発は行われなくなり、鉱山においては新しい鉱脈の発見が滞ることとなった。こんな馬鹿げた命令が出れば、人々の創造性は破壊され、経済は完全に停滞してしまうことは当然の結果である。その結果の大きなものが先に紹介した人口の停滞なのである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　５代将軍である綱吉の「生類憐みの令」は悪法として有名だが、吉宗の「新規製造物禁止令」はもっと悪法であると思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　わかりやすい例を示すと、佐渡金銀山の出銀高も別子銅山の出銅高も1720年から明治維新までの150年間はほぼ横ばいであったが明治維新後に急増しているのである。新田開発や農業用水の新設などの農業用土木工事についても同じことが言えると思う。人口や経済が停滞すれば国力が落ちることは僕のような経済の専門家じゃない者の目から見ても自明のことである。開国と政体の転換は必然だったと思わされる。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　言葉をかえれば、規制緩和とイノベーションがいかに重要なものであるかを物語っていると思う。前時代的なものには何の価値もないと言うつもりはない。不易流行こそが重要だと言いたいのである。本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねていくことであろう。そして今、イノベーションが求められる時代が来ているのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">（参照：板倉聖宣著「日本史再発見」）</p>
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		<item>
		<title>果樹手伝い</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 04 May 2020 23:30:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[チャレンジ]]></category>
		<category><![CDATA[家族・暮らし]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　僕の任期があと1年間となったことから、最近、退任した後の自分の状況を想像して楽しんでいる。遊び心で、フリーになった後に使う名刺の素案を考え、試作してみたりもしている。パソコンで作ったものを何人かに見てもらったが、全員が [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　僕の任期があと1年間となったことから、最近、退任した後の自分の状況を想像して楽しんでいる。遊び心で、フリーになった後に使う名刺の素案を考え、試作してみたりもしている。パソコンで作ったものを何人かに見てもらったが、全員が面白がってくれた。普通の名刺サイズの紙の上部に大きな幸水梨の写真を配し、下部には横書きで名前、住所、電話番号、メールアドレスが並んでいる。これだけでも面白いのだが、やっぱり何らかの肩書が必要だろうと思い至り、編み出した肩書が「果樹手伝い」というものである。さらに、自らの経験の無さを示すために小さな文字で（見習い）と付記されている。家事の方は何とかこなしているので手伝いではなく主体だと思うけれど、農作業の方はまだまだ見習いなので、「家事手伝い」ではなくて「果樹手伝い」なのである。まだ1年間あるので名刺についての修正や見直しがあるだろうけれど、この肩書はぜひ使いたいと思っている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　さて、肝心なのは農作業をどうやってこなしていくのかということ。僕は梨農家の長男でありながらこの歳までほとんど農作業をしないまま生きてきてしまった。もちろん若い頃から時には人工授粉を手伝ったり収穫作業に加わったりはしてきた。それとてもほんの数日間のことである。いつかはやらなきゃと思いながら踏み込むことができずにきたのである。しかしながら現在96歳になる父が老体でありながら楽しんで梨づくりに精出している様子を見ていて、一昨年あたりから梨づくりの作業や手順を少しずつでも体験していこうと思い至った。もう若くはないのだけれども、自分の原点である農の心に触れてみたいのである。果樹見習いから始めてみたいと思っているのである。昨年の夏には摘み取り、箱詰め、出荷という収穫作業を初めて通しでやってみた。秋には父の指導の下、剪定作業を手伝い、肥料をまいたりした。もっとも防除や剪定や誘引・枝縛りなどという作業はこれからも専業の人にお願いしていくしかない…。それでも何とかできそうなことから少しずつ取り組んでいきたいものだと思っている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　過日は、姉夫婦に手伝ってもらいながら梨の花を採取し花粉の採葯、開葯作業をしたけれど、素人3人を見かねてか、何人もの人に助けてもらった。そして人工授粉作業である。子供の頃に手伝ったことはあってもほとんど初挑戦であった。とりわけこの作業は開花状況と天候に左右される。そして人手も必要だ。悩んだ末に、農業サポーターの人たちの協力を仰ぐこととなった。お蔭さまで3人のサポーターに来ていただき、友人にも加わってもらい何とかこなすことができた。ちゃんと実がなれば次は摘果作業である。こうやって僕の見習い作業は続いていくのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　さて、手伝ってもらった農業サポーター制度について紹介してみたい。農業サポーターとはわが家に来てもらったように、農繁期などに農業者の元に出向き、有償で農作業の手伝いをする人材グループなのである。もともとは、僕のように農家の生まれでありながら農業から遠ざかっていた人や、非農家であっても農作業に興味のある人たちのために農業技術を習得してもらうための学校である「とやま楽農学園」を開設したことに遡る。この「とやま楽農学園」の狙いは必ずしも就農者を増やすことではなく、空いた時間に楽しみながら農作業に従事して農業者の力になってもらうサポーターの育成にある。現在、そのサポーター登録者が530名ほどいて、野菜農家、果樹農家、花き農家などの協力者として活躍している。農家は繁忙期に働き手を得ることになりサポーターは自分の余暇時間に謝金を得て農作業を楽しむという良い関係が築かれているのだ。これからも続いていくと良いと思うのだが…。</p>



<p class="wp-block-paragraph">（関心のある方は営農サポートセンターまでご連絡ください。）</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
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		<title>100年の夢　叶う</title>
		<link>https://morimasashi.jp/2020/02/05/100%e5%b9%b4%e3%81%ae%e5%a4%a2%e3%80%80%e5%8f%b6%e3%81%86/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 04 Feb 2020 23:30:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　この稿が掲載されるのは2月5日号の広報とやまなので、本稿を読んでもらえるとしたらその1カ月半ほど後に3月21日がやってくる。この日は富山市にとって大変に意義深い記念日なのだという話を綴ってみたい。 　3月21日、この日 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　この稿が掲載されるのは2月5日号の広報とやまなので、本稿を読んでもらえるとしたらその1カ月半ほど後に3月21日がやってくる。この日は富山市にとって大変に意義深い記念日なのだという話を綴ってみたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　3月21日、この日に富山駅の高架下で南北に分かれていた路面電車の軌道がつながる「南北接続事業」が完成する。富山駅から岩瀬浜駅まで運行していた富山ライトレールの富山港線と富山地方鉄道が運行している環状線などの軌道とが接続することになるのだ。今まではいったん富山駅で降車してもう一度乗り換える必要があったのだけれども、これからは乗り換えなしで南富山や大学前から岩瀬方面まで行けるということになるのだ。市の北方向に暮らしている人が乗り換えなしで中心商店街まで行けることになるのだ。本当に便利になると思う。例えば高校生の通学経路が変わるかもしれない。あるいは通院する医療機関への移動手段が変わるかもしれない。買い物行動にも変化が生まれるかもしれない。コンサートや映画鑑賞に出かけること、美術館巡りをするなどの文化活動をすることにも広がりが生まれるかもしれない。とにかく、市民のライフスタイルを劇的に変えることになるに違いないと確信している。そして、その日は既に指呼の間に迫っているのである。本稿を書いている今も僕は興奮と高揚する気持ちを抑えられないでいる。富山市の新しい時代がやってくるのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　明治41年に富山駅ができている。そして北陸線が東に延びていった結果として、ずっと鉄路が富山市を南北に分断する万里の長城のような状況が続いてきた。その結果、市内には「開かずの踏切」がいくつも生まれることとなった。富山はそれを解決するために、金沢や福井に先んじて線路の下に道路を通すアンダーパスという解決策で対処してきた。しかし、「開かずの踏切」の解決が遅れた金沢や福井の方が結果として線路全体を高架化するという連続立体交差事業の着手が先行することとなった。良かれと思って進めたアンダーパスでの整備が高架化において遅れをとることとなったのである。それがやっと完成し、それどころか金沢駅や福井駅では考えられない、駅の中を南北に路面電車が貫き、新幹線やあいの風とやま鉄道線とシームレスに乗り換えができるという全国にも例のない駅空間が生まれるのである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　明治22年の市制施行から130年、さらには平成17年の合併から15年という節目の年に路面電車の南北接続事業が完成するのだ。まさに、富山市民100年の夢であった南北市街地の一体化が実現するのである。人口減少と超高齢社会という大きな潮流に立ち向かい、将来に希望が持てる持続可能な都市構造へと、大きくかつ着実に転換を成し遂げたという意味において、富山市の歴史に新たな1ページを刻んだ都市計画事業であると言えよう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　蛇行していた神通川の直線化に加え、富岩運河を開削し、その掘削土で神通川の廃川地を埋め、その地に県庁や電気ビルを建てるという大土木工事を富山市都市計画事業の第一ステージだとすれば、空襲によって焦土と化した富山市街地の復興事業を第二ステージと位置付けることができる。(ちなみにこの戦災復興事業は全国に115あった戦災復興計画の第一号認可を受けているのだが、多くの地権者の多大な理解と協力によって実現したものだ。)そして、今回の南北接続事業というコンパクトなまちづくりの大きな到達点は富山市にとって第三ステージの実現なのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　冒頭で3月21日は富山市にとって大変意義深い日だと述べた真意を分かってもらえただろうか。いずれにしても目の前である。心も身体も逸っている。100年の夢が叶うのだ。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
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		<title>お迎え用ではありません</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Dec 2019 16:00:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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<p class="wp-block-paragraph">　過日、初めてネパールに行ってきた。機内からエベレストが見えないかと期待していたのだが残念ながら厚い雲に覆われていた。それでも首都であるカトマンズの熱気あふれる喧騒に驚かされ、圧倒されて帰ってきた。道路整備が不十分なうえに信号機が無い中をおびただしい数の車とバイクと歩行者がうごめいていた。時折、日本の協力により設置された信号機があるのだがまったく作動していなくて警察官が交通整理をしていた。ほとんどセンターラインも消えかけているような道路をまるで無秩序状態で大量の車が走行しているのである。案内してくれた人に聞いてみると、接触事故はあるものの人身事故はほとんど無いと言う。不思議な思いで交通の状態を観察しているとあることに気付いた。車のドライバーもバイクも歩行者もギリギリのところで微妙に譲り合っているのである。自分に優先権があると主張するのではなく、交通全体がスムーズに流れることを優先しているとでも言うべきか。つまりみんなが全体の利益を考えているのだろう。ひょっとしたら見習うべき文化ではないのかと思わされた。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　一方、富山の交通事情はどうか。富山は道路整備率、改良率、舗装率が全国でも比較的高い地域であり、歩道の整備も進んでいる。また道路交通法や条例などによって交通に関するルールが徹底しているし安全対策も施されている。ネパールとの彼我の違いは大きいものがある。にもかかわらず人身事故が後を絶たないのは何故なのだろうか。ここに僕たちが考えなければならないポイントが潜んでいると思う。交通ルール上の優先権意識がはたらいたり、自らが譲るという意識よりも相手が譲るべきだという意識が勝っているということがあるのではないのか？全体の利益のためにお互いに譲り合うという運転姿勢が求められていると思うのだが…。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　譲り合うどころか、目を疑う運転姿勢のドライバーを見かけることさえある。最近話題になることが多いあおり運転がその一つだろう。車に乗ってドアを閉めた瞬間に匿名性が高くなり性格が急変して乱暴な運転に繋がっているケースも多いのではないだろうか。車体に運転手の住所と名前を表記しないといけないことにでもすれば良いのかもしれないな。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　以前にも書いたことがあるが、赤信号で止まるのが嫌で、交差点の角にあるお店の駐車場を勝手に斜めに横断していくという横着者も目につく。そのお店の利用者が歩いているにもかかわらず猛スピードで突っ切っていく車には呆れてしまう。猛省を求めたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ちょっと趣きが違うけれど、富山駅の降車用駐車スペースの使い方に触れてみたい。富山駅には新幹線や在来線に乗るために車で送ってもらった人を降ろすためのスペースがある。電車の出発時間ぎりぎりに到着した人でも慌てずに降車できるようにと設けたものだ。ところがこのスペースで新幹線などで到着した人を迎えるために駐車している車が後を絶たない。お迎え用の車は別に設けられている２０分間無料の駐車スペースを利用してほしいと思う。送車と迎車のスペースの譲り合いということだ。これから雪の日や雨の日が多くなると高校生を迎えに来た親の車のルール違反利用も増えると予想される。降車専用スペースがルール通り利用されることは富山のイメージアップにもなることから理解願いたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　過日、お迎えのために停まっていた車に出張帰りと思しき男性が乗り込んだ瞬間に通りかかったので、迎えのために駐車してはならないときつく注意をしておいた。もう選挙には出ないと宣言した身としては評判が悪くなっても一向に構わないのだ。いよいよ令和の打擲おじさんの出番か？</p>
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		<title>カラスに告ぐ</title>
		<link>https://morimasashi.jp/2019/07/05/%e3%82%ab%e3%83%a9%e3%82%b9%e3%81%ab%e5%91%8a%e3%81%90/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[藤崎麻衣]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 05 Jul 2019 05:30:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[政治・政策]]></category>
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					<description><![CDATA[　富山市は城址公園内にカラスの侵入禁止看板を設置した。カラスは文字を読めないのだから看板に意味があるのかと訝(いぶか)る人が多いと思うけれど、それなりのねらいがある。本稿ではその背景をお伝えしたい。 　城址公園の周辺では [&#8230;]]]></description>
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<p class="wp-block-paragraph">　富山市は城址公園内にカラスの侵入禁止看板を設置した。カラスは文字を読めないのだから看板に意味があるのかと訝(いぶか)る人が多いと思うけれど、それなりのねらいがある。本稿ではその背景をお伝えしたい。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　城址公園の周辺では夕方になるとたくさんのカラスが集まってくる。公園内の樹木だけではなく、ビルの屋上などにおびただしい数のカラスが羽根を休めることとなる。このカラスたちは早朝に餌を求めて飛び立ち、市域を超えて飛び回り、そして夕闇が訪れるとねぐらとなっている城址公園界隈(かいわい)に帰巣するという行動様式をとっているのだ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　しかし数年前まではもっと多くのカラスがうるさいくらいに鳴き声をあげながら城址公園あたりを埋め尽くしていたのだ。あのヒッチコック監督の名作ホラー映画「鳥」を思わせる有様だった。あの映画の中の鳥のように集団で人間を襲うということはなかったけれど、頭をつっつかれたり糞(ふん)を落とされたりという被害が時おり発生していた。公園管理者である市としては看過する訳にはいかないので檻(おり)を設置したり、カラスが嫌がる忌避(きひ)剤(ざい)をまいたり、巣を取り払ったり、夜間に強い光を当てて追い払うとかというふうにいろいろな手立てを講じてきたのである。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その成果は城址公園周辺におけるカラスの生息数調査結果にはっきりと表れている。ピーク時の平成19年には11,000羽ほどのカラスが確認されていたものが年々減少し、今は3,500羽程度になってきている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　しかしそれでもまだまだ看過できない生息数だと思う。新幹線開通後、県外や国外から訪れる観光客が増えていることを考えるともっと思い切った対策を取ることが必要だと判断し、平成29年から今年度までの３年間に8,000万円以上の予算を計上した。今年もこの予算を執行しながらカラスの捕獲や巣の撤去などを行っている。成果としては１年間に2,000羽を超える捕獲実績が出ている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　それだけ捕獲しているのにもかかわらず、生息数を3,000羽以下に落とすことができない。何故(なぜ)なのだろうか。その理由の一つとして、(僕には理解できないことだが)ある行為が影響しているのである。なんと城址公園周辺や松川沿いの歩道などで積極的にカラスに餌をやっている人たちがいるという実態があった。捕獲や追い払いをしても一方で餌をやる人がいたのではカラスの生息数を減らすことは難しい。そこで給(きゅう)餌(じ)をやめて欲しいとお願いすることとしたが、ハトに餌をやることは良くてカラスに給餌することがなぜ駄目なのかと反論されると規制する術(すべ)がなかった。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そこで条例で禁止することとなった。3月議会での議決を経てこの7月1日から富山市カラス被害防止条例が施行された。この条例により給餌によりカラス被害を生じさせてはならないこととなった。つまりどんなにカラスが好きな人でも餌をやることはできないということだ。もしもこの条例を守らない場合、罰金を科せられることもあるので注意してほしい。冒頭に書いた侵入禁止看板はそのことを周知するためのものなのである。たとえ蚊さえも殺さないという強い動物愛護精神の持ち主であってもカラスに餌をあげるという行為はしないでいただきたい。条例で禁止したねらいを是非(ぜひ)ともご理解願いたいと思う。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　設置された看板は全部で3種類。それぞれの看板には次のように書かれている。</p>



<p class="wp-block-paragraph">①「カラス居座り禁止」</p>



<p class="wp-block-paragraph">②「城下ニオイテ烏(カラス)為る</p>



<p class="wp-block-paragraph">　モノニ餌ヲ与エル事ヲ禁ズ」</p>



<p class="wp-block-paragraph">③「烏(カラス)ニ告グ　</p>



<p class="wp-block-paragraph">　ココデ餌ヲ食ウベカラズ」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　遊び心に満ちている看板である。頭の良いカラスが理解してくれると最高なのだがなあ。</p>
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