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	<title>日本の文化 &#8211; 森雅志</title>
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	<description>森のひとりごと</description>
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		<title>ラオスの七段飾り</title>
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		<dc:creator><![CDATA[森雅志]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Mar 2020 23:30:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[エッセイ]]></category>
		<category><![CDATA[家族・暮らし]]></category>
		<category><![CDATA[思い出]]></category>
		<category><![CDATA[日本の文化]]></category>
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					<description><![CDATA[　毎年のことだが、1月の末から3月4日まで、わが家の玄関にはお雛様の描かれた小さな衝立と男雛・女雛の木目込み人形が飾られる。そして、毎年3月4日の早朝にこのセットを片付けて、満開の桜の絵を飾る。季節の変わり目のわが家の風 [&#8230;]]]></description>
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<p>　毎年のことだが、1月の末から3月4日まで、わが家の玄関にはお雛様の描かれた小さな衝立と男雛・女雛の木目込み人形が飾られる。そして、毎年3月4日の早朝にこのセットを片付けて、満開の桜の絵を飾る。季節の変わり目のわが家の風物詩である。</p>



<p>　さて、お雛様の衝立と木目込み人形、この2つのお雛様にはちょっとした違いがある。それは男雛と女雛の並ぶ位置が全く逆であるということだ。衝立の方は向かって右側に男雛が描かれているのに対して、人形の方は向かって左側に男雛が置かれているのだ。よく言われる関東雛と京雛の違いというものだ。わが家の場合の衝立の方の配列を京雛と言い、人形の方を関東雛と言うらしい。何故こういう違いが生じたのだろうか？</p>



<p>　京雛の、向かって右側に男雛、つまりお殿様が座るのは御所における玉座の位置に基づいているらしい。わが国古来の、「左上座」に倣えば、お殿様が一番偉いのだから向かって右側に座るのが慣わしということになる。</p>



<p>　では、何故に関東雛ではお殿様が向かって左側に座っているのだろうか。それには大正天皇のご即位が関係しているらしい。明治時代、なんでも西洋に倣うという風潮が強くなった時期がある。その結果、並び方においても国際儀礼である「右が上位」という考え方が取り入れられることとなった。「左上座」から「右上座」への転換ということだ。そして、大正天皇ご即位の際に、天皇陛下が皇后陛下の右に立たれたことから広くこの「右上座」という風習が広まっていったのだった。お雛様の配列においても、このご即位時のスタイルが定番となっていったのだ。その結果、関東雛と京雛という違いが生まれ、最近は関東雛が主流とのこと。そんな背景など知らずに、わが家では2つの並び方が同居しているということだ。</p>



<p>　ちなみに、僕には僕なりの並び方のルールがある。並んで立つ場合には無頓着で何も気にしてないけれど、女性であれ子どもであれ、守るべき対象と並んで歩く場合には絶えず僕が車道側を歩き、相手が歩道側を歩くということにしている。当然至極のことである。 　</p>



<p>　さて、わが家も娘たちが小さかった頃は座敷に七段飾りのお雛様セットを飾った。このセッティングはひどく寒い時期に底冷えのする座敷で僕が一人で担当する難業であった。そのうえ3月4日中には何があろうと片付けなければならないという第二の難業までもがあった。やがてわが家では、長女が中学に進級した頃に、難業を見かねた娘たちが提案してくれて、現在の衝立と木目込み人形を飾るやり方に変わったのである。爾来、七段飾りセットはわが家の物置に忘れられたまま仕舞われていた。ところが、数年前にあるラオス人の若者と知り合ったことで七段飾りセットの運命（？）は大きく動き出すこととなった。彼は母国と日本で事業をしている実業家で、ラオス政権中枢に繋がる人脈を持つ人物であった。例えば、ラオスの文部科学大臣が彼の叔父であり、ある日、その大臣が日本の伝統的なお雛様を両国友好の証しとして庁舎に飾りたいという希望を持っていることを告げられた。その時、僕が急にわが家の物置で忘れられているセットを思い出し、提供しても良いと提案したところ、一気に話が進展し、ラオス政府の文部科学省庁舎にわが家の七段飾りが飾られることとなったのだった。僕がかなり苦労して何とか梱包したお雛様セットはコンテナに入れられ、とっくにビエンチャンに届いていると聞いていた。組み立て方や並べ方についても詳しい写真付きの資料を同封しておいたのだけれども、未だに展示された写真が届かない。果たしてどうしているのだろうか、ラオスの七段飾り。かの地で大事にされているのなら本望なのだが。 </p>
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