森のひとりごと

2020年1月10日

2020.01.10

 出張先に届いた地本紙の記事を面白く読んだ。僕は自分の意見を淡々と語り、粛々とブログ上に綴っているだけなのにいろんな関係者にマスコミがそれを伝聞し煽ってコメントを求めているようで面白い。コメントを求められた方も僕のブログを読み込みもしないで記者の術にはまって口にするものだからもっと面白くなっているようだ。いかにもなあという構図である。
 言われっぱなしも良くないので、理解の及ぶ範囲で再コメントしてみたい。まず、記事にあった、言わば「言いたいことがあるなら県連大会で言えばいいだろ。」という誰が言ったかは分からない(およそ想像はつくけどね)コメントについて言いたい。僕は最終的な県連の対応に意見するつもりもないしその立場でもないので、僕の発言は県連に対してのものではないということを言っておきたい。僕が主張しているのは県連の意思決定に参画するであろう同志各個人に対し自民党が平成18年にわざわざ改正した要綱だったか、要領だったか、規約だったかに(ちなみに党則とう表現はしていないはずだ)流れている見識を尊重して対応してもらえないだろうかというものである。同志に話しかけているのであって県連に物申す気持ちがみじんもないことを我がブログを読んで理解願いたいものだ。
 もう一つ目についたのが、「この発言は新田さんのためには利益にならない」という趣旨のもの。誤解のないように言っておくが僕は新田さんの利益になればとの思いで一連の発言をしブログを書いているわけではまったくない。今までにも何度も発言しかつ活字にもしてきたが平成18年の11月、第一次安倍政権の時にわざわざ改正された自民党のルールの見識の深さに感動し共感しているからこそ主張しているのである。どんなに優秀で実績を上げていて声望があり、かつ人格者であっても知事つまりガバナーの場合は連続3期までしか支持しないものとし、市町村長や議員については多選制限をしないという自民党のルールは本当に深いものであり、憂国の真情の発露であると思う。総裁の任期を3期で制限していることと同根の国家観と憂国の情が底辺にあるのだ。三島の憂国観とは距離があるものの、それまでの実績や個人的な親近感や情実や好悪間、表面的な人気、実利的な影響など様々な魅力がある人材であっても、それを超越して国家や国民、県民、市民のためにルールとして3期までの多選制限をした先人の決断を尊重すべきではないかと僕は訴えているのである。新田さんとは関係なく今までも何度も主張してきていることなのだ。
 大野黒部市長は気づかなかったのかもしれないが4年前の知事選が始まる前から何度となく同様の主張を繰り返してきているのだ。大野市長の発言に関する記事の見出しに大きな違和感を感じたので、まずそのことについて言っておきたい。誰が「騒ぎ」という言葉を使い始めたのかは知らないけれど、もしも大野さんまでもが使っているとしたら改めてもらいたい。僕は少しも騒いでいないし、自らの考えを淡々とかつ粛々と述べかつ活字にしているだけなのだ。どこにも騒ぎなど存在しないのである。もちろん騒がそうなどとも思っていない。

 さて、前回の知事選挙の時には問題にしていないじゃないかという趣旨の大野氏の発言に対しては先述の通り誤解以外の何物でもない。4年前に、誰も手を上げないのであれば、自民党の見識の実現のために僕が検討しても良いとまで考えていたことは多くの人の記憶にあるところじゃないのか。当時、県連の幹部の何人かと話した中で次のようなやり取りもあった。誰も対抗者がいないとなれば党本部のルールとは違うが県連単位で支持することは当然だという説明に対しては充分に納得ができた。そのうえで、誰かが手を挙げた場合には党本部のルールが働くことになるはずだという僕の意見に対し、それでも当然に党本部ルールにつながるものではなく党本部ルール解釈を含めた県連の判断によるとされた。そのうえで、県連の議論が簡単に収れんされない場合にはどちらも推薦しないという選択肢もありうるという、これもまた憂国ならぬ憂県の真情とも言うべき発言があったことを忘れられない。大変に驚きはしたが、ものすごく奥の深い発言だと受け止めて僕はそれ以上の主張を自らの内に収めた。大野さん、あなたは知らなかったのかもしれないが、僕が誰かを推すためではなく自民党のルールの尊重という趣旨で行動し発言してきたことを分かってもらえれば4年前にもそれなりの動きをしていたということを理解してもらえると思う。今になってにわかに主張している訳では無いのである。

 まったく蛇足で言わずもがなのことであるが、公認料云々のことはルールとは違う主張をしようとする人に対してやるからにはそれくらいの覚悟でやるべきだという激励の趣旨である。激励の対象者に制限のないことは当然のことである。いずれにしても同志諸君に訴えよう。情実や利害を捨てて憂国、憂県の情に立てと。

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