森のひとりごと

いつも農作業を手伝ってきた?

 過日、コンビニに行こうと軽四で道路を走っていたところ、道路上に大量の梨が転がっていて二人の人が慌てて拾っているところに出くわした。この道路は僕が中学生の頃に農道として整備された、直線で走りやすい道であり、梨の最盛期には収穫した梨を運ぶトラクターや軽トラと一般の乗用車などで混雑することが多い。いずれにしても、僕が状況に気づいたときには対向車線には既に5、6台の車が走行できずに停まっていた。僕は車を左側に停めて、転がった梨を拾おうと走って行った。周囲に迷惑を掛けてしまって申し訳ないといった風情で黙々と梨を拾っているのは近所の人であった。時々、僕の梨畑での作業にアドバイスをしてくれる80代の男性と彼の息子の妻の二人である。失敗したという気持ちで緊張しながら作業をしている二人の心を少しでも和らげようと、「僕も若い時に満杯の箱をひっくり返したことがありました…。」と言いつつ作業を急いだ。気が付くと、若い男女3名が一緒になって作業をしてくれていた。車から満杯の梨の箱が落ちたのだから、転がっている梨はほとんどが割れて果汁が浸み出しているので手がべたついてしまうのに、嫌がらずに手伝ってくれる若者の姿にほっとさせられた。彼ら以外の車から新たに手伝おうとする人は現れなかったけれど、クラクションを鳴らす人はいなくて、静かに作業が終わるのを待ってくれていた。まだまだ助け合いの心が生きていることに触れて嬉しくなった。作業が進み1車線程度の幅で通行できるようになるとお互いに譲り合って交互に通行している様子もまた嬉しく感じた。みんな忍びざるの心を持っているということだ。

 ちなみに、僕が若い頃に梨の箱をひっくり返したのは自宅の敷地内であったものの、両親が丹精込めて栽培してきた成果品を台無しにしてしまったという後ろめたさで小さくなっていた。そんな僕に対して父が「まあ、大なり小なりみんなやってることだ。」と慰めてくれた。忘れられない記憶である。

 僕は、毎日忙しく農作業に励む両親のために一生懸命に手伝いをするという健気な少年ではなかった。それでもたまに手伝いに駆り出されたものだ。そんな記憶を辿ってみると、よくぞ無事だったなと思わされる失敗ばかりが浮かんでくる。思い出せる失敗話の幾つかを綴ってみたいと思う。

 小学生の頃に茶畑で新茶葉をいっぱいに入れた畚(藁で編んだ籠、当時わが家ではドーハと言っていた)をリヤカーで運んでいてひっくり返してしまったこと。

 中学生の時に耕運機でリヤカー状のものを牽引する装置を運転していて側溝に落ちる寸前という危険な瞬間があったこと。

 乗用の防除機が無かった頃の農薬散布作業は固定した動力噴霧器から長いホースを伸ばして行っていたのだが、梨の樹に噴霧する父のやりやすいようにホースを引いたり押したりすべきなのに要領が悪くて長いホースを絡ませたうえに足を取られて思いっきりコンクリート柱に頭をぶつけてしまったこと。

 脱穀機などを動かすための農業用三相交流電源をいじっていて感電したこと。

 この歳になっても子どもの頃の失敗を忘れることはできない。その殆どは親にも友達にも言わず、そっと胸の奥に隠してきたものだ。不思議なことに最近になってそんな小さな秘密を告白したくなり、この稿を書いた次第。父が入院し母が施設でお世話になっている今、両親の若い頃からの苦労をしのびつつ、残された梨畑を何とか維持していこうとする思いがそうさせたのかもしれない。ほとんど梨栽培の知識がないけれど門前の小僧の記憶に頼りながら、かつ近所の人に助けられながらなんとか今年の収穫を終えることができた。失敗談を披露することで心をリセットして秋の剪定作業から再挑戦だ。

 さて、来年はどんな梨が取れることやら?楽しみながら頑張りたいと思っている。

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