2021年8月19日
今日の収穫中に面白いものを見つけた。直径が45mmほどの極小サイズの幸水梨である。ご案内の通り、春に人工授粉をして小さな実がたくさんできた後、数次にわたって摘果を行う。その過程で成長が不十分なものや、形がいびつなもの、なんとなく精気の無いもの、枝の間に挟まりそうなものなどが摘果され落とされていく。僕の場合、7月に入ってからも摘果作業を密かに続けていたので、その時点で成長が不十分な小さな実は取り除かれていることになる。(新米の梨栽培者の僕は一本の枝に残す実の数を少なくすれば残ったものが大きな梨になるものだと考えていたが、どうもそればかりが要素ではないことを今は実感していて混乱している次第。) ところがどうしても見落としがあって、規格外の小ささの実が残されることとなる。それでもこんなに小さな実がこの時期に成っていることに驚いてしまった。一人前に色づいていて、熟した梨のように見える。さすがに皮をむいて食べてみることまではしないものの、今日獲れたほかの梨と比べてみることとした。写真のように同じ畑の同じ木にもいろいろな大きさの実ができる。
僕は、何とかして見栄えの良い大きな梨を作りたいと願っている。(必ずしも正解ではないけれど…。数をたくさん作る方が採算性が高まるという考え方もあるようだ。)添付した写真で言えば右側のような梨を作りたいのである。だから摘果作業に励んだのだけれども、小さく実った健気な姿を見るとほめてやりたいような気持ちにもなる。
摘果作業の最中にあっては、同じような大きさと勢いの二つの実の内の一つを落とすときに迷ったり、躊躇したりすることがしばしばだ。前にどこかで書いた記憶があるが、メリル・ストリープのアカデミー賞主演女優賞受賞作品の映画「ソフィーの選択」を思わせる悩ましさである。もちろん、まったく程度の違う悩ましさではあるが…。
今は収穫の最盛期である。見栄えが良くておいしそうな梨の陰で日陰でひっそりと小さな命を紡いできた極小サイズの実にいろいろと考えさせられる一日であった。明日も頑張るぞ。