2025年5月12日

先週から梨の摘果作業に追われている。冒頭の写真を見て欲しい。縦に2分割の写真となっているが、右側が摘果前であり、左側が作業後の状態である。枝にいくつもある果台(花芽がついて結実した付け根)にはいくつもの小さな実ができる。今年は初めて人口授粉前に花芽の整理を行い、一本の枝に過剰な花芽が無いようにしたつもりだったが、(これもまたはじめての取り組みだったが)粗花粉を純花粉にする装置を導入し、さらにそれを小さな装置から鳥の羽根のようなものをとおして授粉するという作業をしたせいか着果率が高くなり、一つの果台が小さな実であふれるという状態になった。その余分な実を除去し大きく勢いのある実一つを果台ごとに残すという作業が摘果。手作業でしかできないうえに落とす実と残す実の選別を誤らないようにと気を使う。さらに至近距離の目標に向かい続けることから、目が疲れ乾くので悲しくもないのに涙が出てくる。ゴミが入ったわけでもないのに目が充血し痛くなる。それでも作業後の状態を見ると達成感につつまれる。考えてみると、動物であれ植物であれせっかく生まれてきた個体がいろいろな形で淘汰されていく。消されるものと残るものとに運命が分かれていくのだなあ。そんなことを考えながらの日々である。収穫までには、2次摘果、3次摘果、最終摘果とまだまだ淘汰作業が続く。左の写真で残っている実たちの運命もまだまだ過酷なのである。一定程度成長してからの摘果の際は同じような形状の2つの実から1つを選ぶことが難しく迷ってしまうことがある。最後はエイヤーッ!っと言って思い切るのだけれども…。数年前に畑を訪れてくれたオーストラリア人の女性にその迷いのことを「ソフィの選択」だと言ったら爆笑されたことがあったっけ。いずれにしても黙々と作業は続く。僕の好きな言葉である「黙々と働く」日々が続いていく。頑張ろう!! (末尾の写真は枝を上から俯瞰したもの、下が作業前、上が作業後、今は残されている実たちの運命や如何に…。)
