森のひとりごと

雑学 二宮尊徳

 小学4年生の時に、アメリカの大統領であったジョン・F・ケネディが日本人の中で一番関心がある人物として上杉鷹山の名前を挙げたことを知って驚いた。当時の僕は、不明にも上杉鷹山という人の存在を知らなかったからである。何日か図書館に籠もり、上杉鷹山に関する書籍をむさぼり読んだ記憶がある。

 バブル崩壊の後に幾つもの大企業が破綻した時代があったが、そういう事態に接して日本社会が抱える制度疲労や悪弊がいかに深刻であるかということを思わされた。そして上杉鷹山に代表される江戸時代の財政再建の指導者たちに興味を持ち、備中松山藩の再建に取り組んだ山田方谷や、上杉鷹山の師である細井平洲などの伝記ものを乱読した。

 その頃に二宮尊徳についても興味を持てば良かったのだろうが、漠然としたイメージだけで二宮尊徳を理解したつもりでいて、改めて調べてみるということをしなかった。ところが最近になって、二宮尊徳の功績を広めるために「二宮金次郎」という映画が製作されていて、全国の公民館などで上映をする運動をしているグループの存在を知り興味を持った。かつては小学校の校門の近くに必ずと言っていいほどに「二宮金次郎」の銅像が設置されていた。薪を背負って読書をしながら歩く少年の姿は、家の手伝いをしながらも学びを怠らない理想の姿として日本中に広められていた。ちなみに現在の富山市内の「二宮金次郎」像の設置状況は、小学校19校、中学校2校に設置されている。

 この像のお陰で少年二宮金次郎は多くの人に知られているのだけれども、大人になっての功績を知る人はあまり多くないと思う。本稿では大人の二宮尊徳があげた功績について簡単に述べてみたい。

 彼は現在の神奈川県小田原市内の村で比較的裕福な農家の長男として生まれた。やがて川の氾濫により一家が所有していた農地の大半が流されるという悲劇に見舞われてしまう。そのうえ両親が失意の中で他界。しかし彼は、荒れた空き地で菜種を育てて収穫したことで小さな努力を積み重ねることが大切だという「積小為大」の考えを体得する。この考えのもと努力を重ね、やがて実家の再興に成功する。その成功を目にした小田原藩は家老服部家の財政再建を依頼する。それを成功させたことにより、さまざまな大名・旗本などから財政再建の依頼が続くこととなっていく。

 その頃は大飢饉が続き農村が疲弊しきっていた時代であったが、彼が再建の手ほどきをした村は600カ所以上にのぼったと言われている。

 多くの藩や旗本領の侍たちができなかったことを何故彼が成し遂げられたのか。それは勤勉さの勧めだけではなく、彼の優れた経済的な見通しと実行力があったからであろう。

 例えば、飢饉の際には年貢の取り立て率を下げるということをやっている。今で言う納税猶予や減免をして離農や離村者を出さないようにしたのである。藩主をはじめとする侍たちが窮乏を我慢することで年貢の総額を抑え、農民の意欲を高め人口増につなげるという発想だ。愛民という封建道徳の論理である。

 また、当時の侍階級は資本を回転して儲ける商人を蔑んでいた。蔑みながらもその商人から借金をするというのが財政危機に陥る一つのパターンであった。そういう状況に対しての彼の功績が「五常講」という講制度である。藩の使用人や武士の生活のためにお金を貸し借りできる仕組みで、今で言う信用組合のようなものだ。資本の回転である。二宮尊徳はその時代の農家でありながら商人的な「資本の論理」を理解していたのだろうなあ。積小為大という「封建道徳の論理」と「資本の論理」を併せ持っていたのであろう。

 先に紹介した映画をぜひとも見てみたい。

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