きみに読む物語
現在、父はある病院に入院している。過日、元気にしているだろうかと気にしながら病室に赴いた。入り口で検温などの手続きを済ませて病室に行ってみると、ベッドががら空きであった。近くにいた看護師の方に「リハビリにでも行っているのですか?」と尋ねると、優しく笑いながら「違います。」と答えてくれた。すると他の看護師の人も寄ってきて、同じように、優しく、かつ楽しげに笑っている。僕が訝しげにしていると、併設されている老人保健施設に入所している母に会いに行っていると教えてくれた。実は病院に父が入院していて、併設の施設に母が入所しているという状況なのである。聞けば、毎週月曜日の午後3時に、まだ要介護認定を受けていない96歳の父が病院のスタッフに同行してもらいながら、認知症の92歳の母のところに楽しげに通っているのだと言う。もっとも母は、前の週に父と会っていたことをすっかり忘れていて、毎週、久しぶりに会ったと嬉しげにしているとか。それでも父は毎週楽しみにして会いに行っているらしい。このことを知らされた僕は少しばかり感動してしまった。こんな幸せな夫婦はめったにいないだろう。96歳と92歳でありながら、週に一度のデートができるなんて。前週に会ったことは忘れていても、お互いのことは分かっているのだから、家族のことや昔の思い出話は普通にできる。その程度の認知症なのだから、デートは楽しいものに違いない。70数年夫婦を続けてきたのだから、何も話さなくても分かり合えているのだろうけれども、週一の逢瀬を楽しめるのだから本当に幸せな老夫婦だと思う。
そんなことを思っていると、大好きな作品の一つである映画を思い出した。ニコラス・スパークスのベストセラー小説を原作として製作された「きみに読む物語」である。詳細な説明は省くけれど、長い間寄り添った夫婦の一生の物語で、年老いて認知症を患い施設に入所している妻に何とか二人の日々を思い出させようとして、夫も同じ施設に入り、毎日のように本を読み聞かせる時間を設けて、二人の若い頃からの日々を小説を読むようにして語り続けるというストーリーである。わが父に小説風に語りかける術はないけれど、来し方のあれこれや、子どもたちのこと、孫やひ孫のこと、梨畑のことなどを語り合っているに違いない。二人の週一デートが長く続くことを願うばかりである。
これから、高砂人形や翁媼人形のように超長寿のカップルが増えていくことだろう。「お前百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」が現実になってきているのだ。ところが、片方が要介護認定を受けていて、もう片方は認定を受けていないという場合に、一緒に入所しようとすると、「住宅型有料老人ホーム」か「サービス付き高齢者向け住宅」とかが考えられる。この場合、居宅介護サービスを受けることとなり、施設介護サービス水準という訳にはいかない。一方、片方が介護認定を受けて入所している施設に、要介護状態ではないパートナーが同居することは現状の制度では困難なのである。しかしながら、介護程度の差を超えて一緒にいたいと望む人は増えてくると思う。もちろん自己負担は大きくなるけれども、我が両親のようなカップルが一緒に入所できる施設介護サービスということを考える時代が来ているのかもしれない。難しい課題である。