森のひとりごと

2024年8月9日

2024.08.09

 過日、かがやき号の車内でJRの広報誌を読んでいて面白い人材募集広告が目にとまった。それは岩手県が「医師求む」と呼び掛けている広告であった。文中には「今、私たちは県をあげて岩手で働いていただける医師を探しています。」とあり、その必死さが充分に伝わるものであった。どこも大変なんだなと思ったとたんに学生時代にしばらくやっていたアルバイトを思い出していた。学生時代の一時期、僕はちょっと風変わりなアルバイトをしていた。それは「日韓問題研究会」という名の、チョット怪しげな団体の代表の運転手という仕事であった。この代表は月の半分は韓国に出張していて、僕の仕事は彼の出国の日と帰国の日に当時の羽田空港(その頃はまだ成田空港がなかった)まで送迎するというものだった。彼が帰国するときは決まって同行者がいて、時には羽田から東北地方の寂しげな寒村にまで代表と同行者を送っていくこともあった。この同行者は戦前の日本統治時代に資格を得た医師か看護師であり、当時の言葉で言うところの無医村で働くために来日した人たちであった。この代表の仕事は今の言い方で言えばリクルーターということだ。この団体がどういう仕組みでどの程度の利益を得ていたのかは知らなかったが、その一部から僕のアルバイト代が出ていたことは間違いがない。先にチョット怪しげなという表現をしたのはこの口利き業が合法なものなのかどうかについて若干の疑問を感じていたからである。それでも当時としては破格な報酬をもらえたので無口な運転手の役割を演じていた。いずれにしても、当時と変わらない医師不足の現状が岩手県にはあるということだ。医師の都市への集中現象は今に始まったことではないけれど地方にとって深刻な問題である。あらためて考えさせられた。
 ところで、このアルバイトの流れで時どき当時の議員会館に行くこともあった。こういった際にプロの運転手の先輩たちから運転技術の指導を受けたこともしばしばだった。急発進をしないこと、急ハンドルを切らないこと、停車するときも静かにそっと停まることなどを教わった。今もこの時の教えを意識して、同乗者が安心してゆったりと乗ってもらえるように心がけている。
 記憶が定かではないが、ある時に長谷川仁(?)という参議院議員の事務所に同室させてもらう機会があった。この時にこの議員が次から次とかかってくる電話に英語、中国語、韓国語などの複数の言語で対応する姿に圧倒された記憶がある。僕の下手なくせに多言語をしゃべりたがる悪癖も原点はここにあるのかもしれない。それでもたまに外国語で話す機会を得ると嬉しい。先日は美女平に向かうケーブルカーの中で二人のイタリア人女性とイタリア語で話しができた。真砂岳では韓国の人と話をした。下手でも楽しければ良しとしよう。岩手県の広告からあちこちに飛び火したような酷い文になってしまったが若き日の思い出話でした。

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