森のひとりごと

2025年5月23日

2025.05.23

 毎食前にある漢方薬を飲んでいるのだが、ときどきどうしても飲むことを忘れてしまうことがある。食後に気が付いて、まあいいかということで慌てて飲むということもしばしばだ。人の名前が出てこないということもしばしばある。やっぱり老化ということだろう。中でも数日前の失敗は出色ものなので披露しておきたい。薬を飲もうとして袋の口を開け、切り取った断片をゴミ箱に捨てるという作業までしながら肝心の薬を飲むことを失念してしまい、そのまま台所仕事を続けていた。ずいぶん経ってからツレアイに「ここに封をきった薬があるけどどうしたの?」と聞かれて初めて飲み忘れていることに気が付いた。何をしてるのやら。シャンプーをしようとして頭にシャワーを掛けながら、待てよ!シャンプーをしたかな? それともシャンプー前に髪を濡らした段階だったっけ? などと分からなくなることもある。ひょっとしてここまで酷いのは僕だけかもしれないなあ。重症なのかもしれない…。…。まあいいか。

 過日読んだ本でお気に入りの短歌をみつけた。永田和弘さんの最新作「人生後半にこそ読みたい秀歌」の中で紹介されていた時田則雄さんの一作である。『なにゆゑに百姓をしてゐるのかと問はるれば答ふ 大いなる遊び』という作。時田さんという歌人の名前を初めて知ったが、十勝の大自然の中で広大な畑を耕しつつ百姓であることを誇りに生きている歌人であるらしい。僕が日常の暮らしの中でこっそりと意識している思いそのままで嬉しくなった。僕もときどき同じように問われることがあるが、農家とは名乗れない技術水準であることの後ろめたさもあいまって、わがままな道楽ですょ、などとうそぶいてきたが、これからはこの歌のように答えたいものだ。「大いなる遊び」と言い切る詩心は持ち合わせてはいないものの「大いに」共感できる。業として農作業に就いている人からみると不遜な言葉として受け取られるかも知れないけれどシャイに構えた詩心なのです。名刺の肩書を「梨栽培者」としている僕としては我が意を得たりの心境である。それこそ遊び心で「梨栽培遊人」という肩書に替えてみますかな。

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