2021年3月4日
過日、石原慎太郎著の「男の業の物語」を読んでいて、古い記憶を呼び覚まされるエピソードに出会って驚いた。数十年も前の出来事のようではあるものの同じような体験を持つ僕には実に新鮮な話であった。相模湾で行われている初島レースというヨットレースにおいて学習院大学のヨットが悪天候の中で遭難し、乗っていた5人のクルーが全員死亡するという事故があった。その際に、結婚したての艇長の妻のもとに艇長から電話があり、夜遅くの帰宅となるが翌朝早くに家を出て2日目のレースに出場すると告げたとのこと。しかしながら、彼女が電話を受けた時間は遭難事故の直前の時間であり、まだ携帯電話の無かった時代ではありえない話だったのだ。ありえない状況の中で電話がかかってくるというエピソードである。実は僕も20数年前にありえない電話を受けたという経験があるので大いに驚かされた。僕が初めて県会議員になった時の後援会長を仮にAさんとしよう。このAさんには言葉で言い表せない程にお世話になった。僕が今日あるのも、その出発点においてこのAさんに支えていただいたからであり、いくら感謝してもし足りないほどの恩人であった。高齢のうえに一人暮らしであったAさんが重篤な病に臥し、やむなくご子息の住む神奈川の病院に入院ということとなった。僕はこの病院にも足を運び見舞わさせてもらったが、寂しそうな入院暮らしに同情を禁じえなかった。やがてある日の深夜に、Aさんがなくなる前日のことなのだが、Aさんから電話があり、かなりかすれて聞き取りにくい声で「森さん、頑張られ」と告げられた。そして、体調を気遣う僕の問いに答えることもなく、静かに電話は切られていったのだ。葬儀の際に初めてお会いしたご子息にこのことを話すと、「そんなことはありえない!亡くなる直前はベッドから降りれない病状だったのだから。」と告げられた。もちろん、Aさんのような高齢者が携帯を持っていなかった時代のことである。あまり他人に話したことのないエピソードではあるが、石原慎太郎さんの著述に触れて披露したくなった次第。夢でも見ていたのだろうと言われそうではあるけれど、「森さん、頑張られ」というAさんの声は今も鮮明に思い出すことができる。頑張ってきたつもりではあるものの、はたしてAさんの期待に応えられたのだろうか。反省しきりである。毎年、お盆にはAさんのお墓にお参りし手を合わせている。合掌。