森のひとりごと

100年の夢 叶う

 この稿が掲載されるのは2月5日号の広報とやまなので、本稿を読んでもらえるとしたらその1カ月半ほど後に3月21日がやってくる。この日は富山市にとって大変に意義深い記念日なのだという話を綴ってみたい。

 3月21日、この日に富山駅の高架下で南北に分かれていた路面電車の軌道がつながる「南北接続事業」が完成する。富山駅から岩瀬浜駅まで運行していた富山ライトレールの富山港線と富山地方鉄道が運行している環状線などの軌道とが接続することになるのだ。今まではいったん富山駅で降車してもう一度乗り換える必要があったのだけれども、これからは乗り換えなしで南富山や大学前から岩瀬方面まで行けるということになるのだ。市の北方向に暮らしている人が乗り換えなしで中心商店街まで行けることになるのだ。本当に便利になると思う。例えば高校生の通学経路が変わるかもしれない。あるいは通院する医療機関への移動手段が変わるかもしれない。買い物行動にも変化が生まれるかもしれない。コンサートや映画鑑賞に出かけること、美術館巡りをするなどの文化活動をすることにも広がりが生まれるかもしれない。とにかく、市民のライフスタイルを劇的に変えることになるに違いないと確信している。そして、その日は既に指呼の間に迫っているのである。本稿を書いている今も僕は興奮と高揚する気持ちを抑えられないでいる。富山市の新しい時代がやってくるのだ。

 明治41年に富山駅ができている。そして北陸線が東に延びていった結果として、ずっと鉄路が富山市を南北に分断する万里の長城のような状況が続いてきた。その結果、市内には「開かずの踏切」がいくつも生まれることとなった。富山はそれを解決するために、金沢や福井に先んじて線路の下に道路を通すアンダーパスという解決策で対処してきた。しかし、「開かずの踏切」の解決が遅れた金沢や福井の方が結果として線路全体を高架化するという連続立体交差事業の着手が先行することとなった。良かれと思って進めたアンダーパスでの整備が高架化において遅れをとることとなったのである。それがやっと完成し、それどころか金沢駅や福井駅では考えられない、駅の中を南北に路面電車が貫き、新幹線やあいの風とやま鉄道線とシームレスに乗り換えができるという全国にも例のない駅空間が生まれるのである。

 明治22年の市制施行から130年、さらには平成17年の合併から15年という節目の年に路面電車の南北接続事業が完成するのだ。まさに、富山市民100年の夢であった南北市街地の一体化が実現するのである。人口減少と超高齢社会という大きな潮流に立ち向かい、将来に希望が持てる持続可能な都市構造へと、大きくかつ着実に転換を成し遂げたという意味において、富山市の歴史に新たな1ページを刻んだ都市計画事業であると言えよう。

 蛇行していた神通川の直線化に加え、富岩運河を開削し、その掘削土で神通川の廃川地を埋め、その地に県庁や電気ビルを建てるという大土木工事を富山市都市計画事業の第一ステージだとすれば、空襲によって焦土と化した富山市街地の復興事業を第二ステージと位置付けることができる。(ちなみにこの戦災復興事業は全国に115あった戦災復興計画の第一号認可を受けているのだが、多くの地権者の多大な理解と協力によって実現したものだ。)そして、今回の南北接続事業というコンパクトなまちづくりの大きな到達点は富山市にとって第三ステージの実現なのだ。

 冒頭で3月21日は富山市にとって大変意義深い日だと述べた真意を分かってもらえただろうか。いずれにしても目の前である。心も身体も逸っている。100年の夢が叶うのだ。

エッセイ関連記事

週刊ブログ

エッセイ