森のひとりごと

2022年7月19日

2022.07.19

 今日は朝から雨。この天気を予想していた訳じゃないけれど、某温泉宿で小原庄助さん的な時間を過ごすことができた。身上をつぶさない程度にのんびりとした時間を楽しみたいと思っている。
 
 さて、冒頭の写真は何なのか? 実は昨年空き地に植えた柚子、枇杷、スダチ、ミカンの苗木たちのうちの一本の苗木の枝先にできたものである。どう見ても小さなミカンの実のように見える。しかし、花を咲かせたという印象は無いので実が出来るはずがないとも思う。それでも直径1.5㎝程度の大きさの緑色の実のようなものが、生まれたばかりのミカンであるように見えてならない。まさかこのまま食べられるほどの大きさのミカンの実に育つとは思えないが楽しみである。昨年植えた6本の苗木がなした実の第一号なら本当にうれしいのだが…。

 新しい命の誕生のような嬉しさを見つけてやっと心の踏ん切りをつけられそうな気がする。安倍元総理暗殺の衝撃から未だ立ち直れないでいるからである。この蛮行がもたらす影響と日本社会の退行を思わずにはいられない。暴力で自分の主張を訴える危険な社会に向かわないようにしなければならない。そのことを強く思う。小学校五年生の時にあのケネディ大統領の暗殺があり、子供ながらに強い衝撃を受けた。知識としてリンカーン大統領の暗殺事件を知ってはいたが、テレビの日米同時中継の最初の映像がオープンカーの車上で狙撃されたケネディ大統領の姿であり、四つん這いで車上を移動するジャクリーン夫人の様子であったことに言葉を失ったことをよく覚えている。僕はその日から二年間ぐらいランドセルの中に少年朝日新聞から切り取ったケネディ大統領の写真を忍ばせていた。忘れられない記憶である。僕の中にある暗殺事件の忘れられないものとして2007年に起きた伊藤一長長崎市長の暗殺がある。伊藤市長は僕の市長としての先輩であり同士でもあった。当時僕たちは伊藤市長を全国市長会の会長にしようとして運動をしているさ中であった。そんな時に、自らの市長選挙の真っただ中で暴力団に背中を撃たれて亡くなったのであった。この時の衝撃から立ち直るのにも時間を要した。葬儀に出席した際の奥さんの憔悴ぶりを忘れることはできない。数年後にこの奥さんから背中に穴の開いたスーツを全国市長会に収めることができないかという相談を受けて奔走したこともあったなあ。なにしろ明治22年に我が国に市制が施行されて以来の初めての現職市長の暗殺事件だっただ。これもまた民主主義へのあくどい挑戦と言わざるを得ない。今回の安倍元総理暗殺事件も死ぬまで忘れられない大衝撃である。自分の中で時間をかけながら静かに整理をつけていくこととしよう。合掌。合掌。合掌。

週刊ブログ関連記事

週刊ブログ

エッセイ