森のひとりごと

2021年8月5日

2021.08.05

 月曜日の朝なのに出勤や通学、打ち合わせや会議などに出かける必要がなく、また予定もないという週明けにも随分と慣れてきた。思えば、就学前に保育園に通って以来の60数年もの間、長期休暇や振り替え休日でもない限り、月曜日の朝は新しい週のスタートとして大切な役割を果たしてきたのである。リセットから再起動するための習慣だったのである。その習慣が必要なくなって3か月半程たったこととなる。ほかの曜日と変わらぬペースで動き出し、農作業をのんびりとこなす。最初は肩に力が入りすぎていた僕の農作業ペースも最近少しづつ落ち着いてきたように思う。休憩時間をちゃんと取ることの大切さも分かってきた。前にどこかに書いた記憶があるが、「慌てず、焦らず、ゆっくりと」が大事なのだと思うようにもなってきた。あまりストレスを感じることもない毎日である。これが良いのだとつくづくと思う。
 最近は朝の4時半頃に目が覚める。ちょうど朝陽が昇って東の空を赤く照らす頃だ。夕方は4時半頃に農作業をやめてゆっくりと入浴する。缶ビールを飲みながら夕食の準備をし、6時半前後に食事を終える。それから、西の山並みの向こうに沈んでいく夕陽を見ながら、静かにもう一度缶ビールを飲む。毎日、朝陽と夕陽を見つめながらストレスを感じない静かな時間を楽しみ、自然や時の流れや人生について少しばかり考える。至福の時間である。つくづくと幸せな時間を持てていると思う。
 ゴッホと一緒にパリの喧騒から抜け出したゴーギャンは、南仏の明るさや解放感に浸りながらも、ゴッホの神経衰弱的な煩さに辟易してしまう。別れることとして家を出るその日にゴッホが自らの耳を切り落とすという狂気的な結末さえついてくる。「俺は、お前のそういうところが堪えられないんだよ!!!」とゴーギャンは思ったに違いない。と僕は思う。そして彼は南太平洋のタヒチに向かう。ゴーギャンはそこで初めてずっと探し求めていた精神と肉体の解放を見つけることとなる。やがてゴーギャンがかの地で10代の少女と暮らすことになることは参考にしないけれども、最近の僕はしばしばこの時にゴーギャンが見つけたであろう解放について憧れる。だからという訳で、自宅の敷地内にデッキチェアに座りながら夕陽とビールを楽しむための物干し台?を作った。これからの4分の1後半生のリセット台というところだ。幸いにも少し高台にあるわが家には終日爽やかな風が吹いてくれる。 今年の夏もエアコンを使わずに自然風で過ごすこととしたい。ストレスレスの日々に乾杯!!

憧れ?のタヒチ

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