森のひとりごと

2022年9月26日

2022.09.26

 久しぶりの書き込みとなる。何人かの方から楽しみにしているのに書き込みが少ないとお叱りを受けた。反省しきりである。
今日は前から書きたいと思っていた話題を提供したいと思う。

 最初に、最近驚かされたことの一つを披露。過日、銀行のCD機で現金を引き出そうとした際のエピソード。いつもは振込もネットバンキングよろしくスマホですましているのだが、この日はどうしても現金を用意する必要があり、228,000円を引き出そうと入力した。即座にけたたましい(?)警告音が鳴りフリーズ状態となってしまった。事態が吞み込めないでいると隣にいた方から「ひょっとして70歳を超えているのでは?」と忠告された。CD機の表をよく見てみると、70歳以上の場合、一日に20万円以上は引き出せない旨の表示があった。8月13日に70歳になったばかりの新人はそのことを知らずにいて戸惑ってしまったという次第。そうか70歳は完璧に老人なのだ。○○詐欺防止のシステムが守ってくれているということか。有難いやら、お節介やらと思わされた。ちなみに、20万円を出金した後、同じ銀行の違う口座のキャッシュカードを使って試してみたところ、28,000円を引き出すことができた。このシステムは口座と連動しているのであって、人には紐づけされていないということだ。お蔭で新しい知恵を得ることができた。新米70歳が老いを印象付けられたエピソードである。

 さて、今日の本題に移ろう。
 
 北陸新幹線の中に置かれているJRの広報誌、トランヴェール9月号の巻頭エッセイを読んで驚かされたというエピソードである。この号のエッセイは僕の大好きな作家のひとりである「柚月裕子」さんが書いている。柚月さんは小さい頃に岩手の自宅で口にしていた美味しいお菓子の由来を辿り、それが富山の伝統銘菓「月世界」であることを知る。そして背景の家族模様を語っていた。曰く、柚月さんの母の父、つまり祖父は富山の薬種商か売薬を生業としていた者で、祖母にあたる女性との間に母をなしたものの添い遂げることができず、岩手と富山という遠距離で暮らすこととなったのだ。それでも祖父は娘と娘の家族を思い、折に触れて「月世界」を送っていたという切なくなるエピソードであった。そうか、あの柚月さんは富山の孫だったのかと大いに驚かされた。少しばかり嬉しくもあった。
 このエピソードは同時に、僕の記憶の片隅に追いやられていたわが家の歴史の一断面を思い起こさせることとなったのだ。わが家は僕の祖父が分家して家族をなした家なので僕で三代目ということになる。だから今から述べる逸話はわが家の本家の物語なのではあるけれど、血のつながりを考えると記憶しておかなくてはならないと思っている。祖父の兄弟の一人が配置薬の仕事についていた。この人は富山で結婚をし子供もいたのだけれども、仕事で赴いていた宮崎県の都城でも家庭を持つということになってしまった。結果的には富山の家族とは縁を切り、都城で暮らしていたのだが、いや、暮らしていたと思われるが、僕の祖父を含む当時の森家はこの人を勘当状態に置き、以後一切の連絡や関係を断ってしまったのだった。今もこの家族とは何の接触も無いのだけれども、しかしほぼ確実に都城周辺にはこの人に繋がる人が暮らしていると思われる。ずいぶん前に亡き父が手掛かりも無いまま叔父にあたる人や自分のいとこにあたる人の消息を訪ねて都城市役所に行ったようだったが手ぶらで帰ってきたことを覚えている。つまり、僕には会ったことも無く、消息も分からない又従兄弟がいるかもしれないということだ。ずいぶん前、市長になりたての頃に千葉県に住む人から市役所に電話があり、僕の親戚だと名乗られたことがあったがそれ以上の進展はなかった。血縁とは難しいものだと考えさせられる。
 この逸話を柚月さんに当てはめてみると、ひょっとしたら柚月さんの遠縁の人が富山にいるかもしれないということになる。興味に魅かれるもののそれ以上の詮索はお節介というものだろう。わが家の血縁の不透明な部分の解明さえできないのだからなあ。最後に付け加えなきゃならないことがある。数年前に、祖父の兄弟が捨てていった(?)、いや縁を切った女性の孫という人に会った。僕の又従兄弟にあたる人だ。確か、南砺市の方に住んでいるとということだった。こういう風に、偶然に血縁者に出会うこともあるということだ。人の縁とは不思議なものだと思わされる。もっとも、「遠い親戚より近くの他人」の例えもある。いつも支えてもらったり、助けてもらっている多くの人との縁こそ大切にしながらベテラン70歳代になれるように生きていくこととしますかな。
 

週刊ブログ関連記事

週刊ブログ

エッセイ