2019年12月5日
今議会で一つの異変が起きた。平成15年12月議会以来16年連続で前年度決算の認定に反対し、採決の前に反対討論を行って来たある会派が、意外にも今議会では反対討論をしないまま採決に応じたのである。いったいどうしたのだろうか? (僕としては、自分とは違う意見の主張であっても討論らしい討論を聞くことが嫌ではなく、楽しみにしているのである。したがって今議会で反対討論が無かったことをアイソンナク感じている。)
僕は、彼らの決算認定に対する反対姿勢についてはおかしなことだといつも思っている。そもそも、予算案に異見を述べたり反対する立場があることは当然のことである。予算議会において滔々と反対討論を展開するのは当然のことである。しかし、多数決により予算が議決されればそれが議会の意思ということになる。審議の途中において反対意見を主張していたとしても議会の意思が決まればそれを尊重するのがいわゆる“議会制民主主義”のルールであろう。いくら不本意でも多数決による結果にしたがうことが民主主義の尊重ということだ。そうだとすれば、議会の議決にしたがって執行された結果としての決算に対して、その妥当性の認定に反対するということは予算に対する議会の意思を認めないことになり矛盾が生じることとなる。予算案に反対していたから、議会が議決した予算どおりに執行されている決算に対しても同意できないという態度は議会の権威を議員自らが否定することであり、自己矛盾であり、議会の否定ということになる。そういう思いで毎年の12月議会に臨み、決算認定に対する反対討論を聞いてきた。(先述したとおり内心では楽しみながら…ということだ。)その反対討論が今議会では無かったということは、彼らがやっと僕の言う自己矛盾に気付き、予算案に対する議論はしても、決算認定については予算との整合性こそををチェックすべきであり、予算審議の際の反対主張を繰り返すことはおかしいということを自覚したということなのだろう。遅ればせではあるが評価すべきだと思う。見上げたものだと思う。立派、立派。
さらに付言すれば、16年連続で反対討論をして来たその会派の討論登壇者は全部で3名いるが、11回は一人の議員が行っている。討論を聞くことを楽しんでいる僕に言わせてもらえれば、この人の討論技術は年々着実に向上していると思う。良くやっているなあと思って気持ちのうえでは応援している。そのうえで、あえて老婆心から言えば、今回、反対討論が無かったことの背景にこの人の疲労感や徒労感や意欲の減退などがあるとすれば心配である。そうでないことを祈りつつ、頑張ってもらうことを期待したい。元気いっぱいに、徹夜してでも頑張れ!! と言っておこう。