森のひとりごと

2022年10月3日

2022.10.03

 当たり前のことだけれども、梨畑にある梨の木には随分と年季の入ったものから若木まである。若い生産者が長期計画に基づいて改植を進めていくことは当然である。古い木と木の間に若木を植えて空間を占める枝を年次的に更新し、若木を伸ばし、老木を撤去していく。その営みは、まるでクイズを解くように先を読むことが求められる。果樹栽培の難しさの一つがそこにあると思う。亡き父も、はたして何年間栽培を続けられるか分からないにもかかわらず、数年前に苗木を植えていた。その頃にこのブログでマルチン・ルターの有名な言葉「明日、世界が滅びようとも私はリンゴの木を植える。」を引きながら、父の老いを知らぬ栽培者としての姿勢を称えたことがあった。その苗木が若木となり成長を続けている。そのことは嬉しいことなのだが、老木はますます老いることととなる。それだけが理由ではないのだが、今年の収穫期の最中から一本の老木を撤去することを目論んでいた。ほかの木々の列からちょっと外れたところにある木で老いのせいなのか収量も落ちていて樹勢が落ちている様子なのだ。数日前に思い切って今年も実をつけてくれた枝たちを切って落とした。まるで裸状態になったのが冒頭の写真である。不思議なもので、その夜、父が亡くなってから初めて夢に出てきた。梨の木の伐採とは何の関係もない登場ではあったが、僕の心のどこかに父が長年にわたって育ててきた木を切ることに申し訳なさがあるのかも知れないなあ。そうは言っても、今更引き返せないので、今日は裸の木の手足をも伐採するという作業を終えた。その姿が末尾の写真である。そのうちに根を掘り起こし、全部撤去することになるだろう。僕が今更苗木を植えることはないけれど、父が植えた若木をしっかりと育てていくことが役割なのだと心得ている。今日はチェーン・ソーがうまく始動せず大変だったけれど気持ちで頑張りました。明日の筋肉痛が心配ではあるけれど…。

切り落とされた最終形
切り落とされた太い枝

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