森のひとりごと

2020年1月27日

2020.01.27

 来る3月21日に路面電車の南北接続事業が完成し、南北市街地の一体化が実現する。この南北市街地の一体化の実現は、富山市復興のまちづくりの歴史や先人の知恵の集積によるものであり、本市の近代化における三つのまちづくりのステージを経て、成し遂げられたものと言える。
 第一のステージでは、神通川の馳越線という改修工事に加え、新たに富岩運河を開削し、その掘削土で廃川地を埋め立てるという大土木工事により、市街地の整備が進展した。第二のステージでは、戦災により焦土と化した市街地の復興に向けて一丸となった市民の理解や不断の努力により、旧城下町地域の整備が進められ、昭和41年に戦災復興事業が完了して以来、各種都市機能が充実した、日本海側有数の中核都市として再生を遂げた。そして、第三のステージでは、公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトなまちづくりに取り組み、日本初の公設民営方式による富山ライトレールの開業や上下分離方式による市内電車環状線化を実現した。このたび、南北接続事業が完成することで、これまでの取り組みが結実し、南北市街地の一体化という「富山市民百年の夢」が叶えられることになるのだ。そしてこの瞬間から次の新しい時代、ネクストステージが始まるのだ。僕らは令和元年8月以来、白井芳樹氏が最初に使ったものと思われるこの「百年の夢」という言葉をキーワードとして借用しながら「富山市の近代化における3つのまちづくり -百年の夢の実現- 」というタイトルで富山市の近代化の歩みをまとめ、ネクストステージまでの営みを分かりやすく整理し、機会をとらえてアピールしてきた。市広報の2月号にも「100年の夢 叶う」と題してエッセイを書いたところであり、今後とも市民に対しその意義を伝えていきたいと思っている。
 さて、ある日、ある所で、ある人が突然のように馳越線工事や富岩運河の開削のこと、廃川地の解消のことなどを口にされるのを聞いて驚いてしまった。続けて戦災復興事業についても説明が続いてさらに驚いてしまった。こういった事柄についての発言が過去にあったことを不明にも知らない。少なくとも僕は一度も耳にしたことがない。話を聞きながらどういう意味が込められているのだろうかと考えてしまった。やがて次のようなことではないのかと思い、理解ができた。一部の者たちが第一ステージだとか第二ステージだとか第三ステージだとか言っているようだが、それらの大工事はすべて県営でやってきたものだと強調したいということらしい。それぞれのステージの事業について触れていただくことは各事業の意義についての理解が広まることになるので大変にありがたいと思う。県や県都を思う熱心さの証しであろう。その熱心さに頭が下がる。こういう熱心な人がいれば僕らの未来は明るいに違いない。
 ところで、僕らが語っているのは富山市の近代化の歴史の延長線上にある南北接続事業の意義についてである。すべては多くのステークホルダーの理解と献身的な協力があって実現したものだ。これからも多くの関係者のご支援とご協力を仰ぎながら、ネクストステージをこれまでにない視点や手法により、創造していこうと呼びかけているのである。
 それぞれの事業が県営だったということはそのとおりであり、どの時代にあっても市民は県に対して大いに感謝してきたに違いない。いや今も感謝しているのだ。お陰様である。僕らも心からそう思っている。これからも県が積極的に県都の発展に取り組んでいただくことを期待している。大変に有難いことである。

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